北海道美瑛(びえい)町は前田真三さんの一連の写真で有名になった。雄大な丘が連なる美しい自然と、それにマッチした美馬牛小学校の塔のある風景。その風景に星をあしらった写真をいつか撮ってみたいと思っていた。しかし、北海道は遠い。私にとって「北海道」は、「アルプス」「ヒマラヤ」と並ぶ永遠の憧れの地で、行くことができるとしても、それはずっと先のことだと思っていた。
●いきさつ
その北海道へ「今度の正月に行こう」という話が飛び出したのは、1992年の夏の終わりごろだったろうか。思い切って行ってもいいなということで、話が具体化し始めた。持つべきものは友達である。
ところが、正月の北海道には猫も杓子もスキーヤーも押し寄せるため、飛行機を取るのが非常に難しいことが分かった。行く気になっていたのは、私、Ni氏、Yhさん、Iwさんの4名で、夜行列車を乗り継いで行こうかとか、ちょうど2組のカップルが作れるので新婚旅行と偽って6ケ月前にキップを手に入れようかとか、いろいろアイデアは出たが、一端は計画が中断しかけてしまった。
北海道行きをほとんど諦めかけていた11月の初め、立山〜新穂高〜南アルプスの撮影行から帰ってきた日の夜、Ni氏から電話があった。JTBに勤めているIwさんの友人を経由して、キャンセルをしないことを条件に、裏ルートで搭乗券が入手可能になったということだった。やはり、持つべきものは友達である。
その旅行社の人は「今からだと宿が全く取れないけれど、本当にいいんですか?」と非常に心配してくれた。しかし、どうせ北海道でなければ上高地に入るつもりだったから、いざとなれば雪原にテントを張れば状況は一緒だし、レンタカーの中で寝てもいいし、旭川のビジネスホテルから美瑛まで毎日通ったっていい…、ということで、急転直下、北海道行きが実現した。
●出発
過去、常にJTB協定旅館を避けて安宿ばかり利用してきた我々にとって、正月といえども、北海道の片田舎に宿を見つけるのはたやすかった。レンタカーはJTBの圧力を目一杯かけてもらい、カリブの4WDをかなり安く予約することができた。12月20日にYhさん宅に集まって、三脚、防寒具、雪靴などの荷造りを済ませ発送した。
冬の旭川便は欠航する率が高いという。運を天にまかせ、12月30日、ANAの飛行機に乗り込んだ。飛行機はデッキを離れ、ゆっくりと滑走路に向かう。滑走路の端でいったん静止し、ジェットエンジンを回し始めた。機内のスクリーンは滑走路を写しだし、ピアノ曲が流れる。いよいよ、ジュラルミンの固まりが空に浮かぶという、理不尽な瞬間がやってくる…。
ところが、いつもと違って、なかなか飛行機は動き始めなかった。スクリーンをよく見ると、滑走路に何やら人影のようなものが見える。そのうち、その人影は手を振りながらこちらに近づいてきて画面から消えた。そうこうするうち、機長の機内放送が始まった。いわく「空調装置のトラブルのため、デッキに戻ります。追って場内放送でお知らせしますので、いったん飛行機から降りて、搭乗ロビーでお待ち下さい」だと。全日空からお詫びの食事券(1000円分)が出たので、天ムスを食べてビールを飲んだ。
結局、別の飛行機に乗り換えて、1時間40分遅れで出発。旭川空港の到着ロビーで、何と私の職場の同僚(うら若き女性・富良野でスキー)、また、Yhさんの職場関係者(北海道の親戚訪問)とばったり出会ってびっくり。同じ飛行機に乗っていたというから、世の中は狭い。
●美瑛周辺
さすがに北海道は一面の雪景色だった。予約してあったレンタカーに乗って、急いで旭川市内の西濃運輸へ荷物を取りに行ったが、暗くなってしまってアセッた。美瑛の民宿「大久保」3連泊の初日は、朝までしんしんと雪が降り積もった。
翌日は大晦日。昼間は撮影地の下見で美瑛町内を車で走り回った。広い雪の丘がやたら続き、距離感が全く狂ってしまう。中心部を少し外れると民家がほとんど無く、「○○宅前」というように個人の家の名前の付いたバス停があるのには笑ってしまう。美馬牛小学校の有名な塔や、前田真三さんの写真を集めた拓真館も見学した。また、旭川のICI石井スポーツまでガスボンベの買い出しに出た。
天候は相変わらず雪模様。太陽が顔を出して青空が広がったと思ったら、その10分後には吹雪いているといった状況で、変化が非常に早い。冬の北海道で星の写真を撮るのは絶望的に思われた。夕方、晴れ間が広がったので金星の写真を少々撮影したが、すぐにまた雪になってしまった。結局、大晦日の夜は民宿でテレビを見て過ごした。思えば、ちょうど1年前の年越しもほぼ同じメンバーで、中の湯で同じように雪に埋もれてテレビを見ていた。持つべきものは友達である…。
明けて元旦。元旦のイメージが全くわかない。昼間は美瑛周辺で写真を撮ったり、駅前の喫茶店などで時間を潰したりした。天候は相変わらずだったが、夕食後に晴れてきたので、急いで撮影に出かけた。
この夜はなんと、奇跡的に快晴となった。拓真館の少し先にある雪の丘に登って、遠く上弦の月に照らされた大雪・十勝連峰をバックに、雄大な雪原と枯れ木を入れて数時間撮影することができた。月が沈みかけるころ、塔を狙うべく美馬牛小学校へ移動したが、そのころからまた雲が出始め、結局これ以後は最終日まで星を撮影することは出来なかった。
●北海道の温泉
翌2日は民宿をあとにして、車で30分ほど山に入った白金温泉ホテルへ。今回の旅で最も豪華な宿(それでも正月割増料金で15,000円)で、天候も相変わらずだったので、やっとのんびり正月気分を味わうことができた。さすがに「ホテル」というだけあって、食事も豪華だった。ただ、暖房がきき過ぎていて暑い思いをした。
北海道最後の宿も温泉。今度は十勝岳の山麓にある、北海道で一番標高が高い(1300m)といわれる秘湯、十勝岳温泉凌雲閣。といっても富良野から1時間もかからないが、さすがに雪がものすごく深く、天候も完全に悪化して吹雪となったため視界がきかず、宿は雪の中に埋もれているようなイメージだった。冬山を思わせる情景に、無事下山できるか不安になるほどだった。
宿はほとんど山小屋といった雰囲気で、非常に親近感を覚えた。今回の旅行ではYhさんの荷物は大型スーツケースだったが、他3名はザックだったため、空港や白金温泉では何となく場違いなイメージがあった。しかしここはザックが当然という雰囲気で、スーツケースだけが浮いていた。
ここの野天風呂の眺めは日本一という(もちろん宿のパンフによる)。混浴で、男女別の内湯からつながっている。さっそく入りに行ったら、若い家族連れと一緒になった。私が入っていっても、30代前半くらいの奥さんは平気で子供とお湯をかけあって遊んでいた。北海道の女性は、若い人でも結構平気で混浴するらしい。本州の女性も見習って欲しいなあ…。雪に埋もれた露天風呂で、残念ながら猛吹雪のためどんな眺めか良く分からなかったが、真っ白な雪山に囲まれている様子だった。まさに秘湯という雰囲気で、大変気に入った。ぜひまた行きたい。
吹雪は一晩中吹き荒れ、翌朝、車はすっかり雪に埋もれていた。しかし素晴らしいパウダースノーのため、雪掻きは楽だった。早々に下山し、旭川でうまいラーメンを食べて北海道を後にした。車のメーターは600km近く回っていた。
●後日談
行きの飛行機に乗り合わせた職場の同僚(Kさんという魔女)は、飛行機がトラブルを起こしたのは私が乗っていたせいだと思っていたそうな。私は私で、トラブルはKさんが乗っていたせいだと思っていた訳だ。
あとで聞いた話によると、彼女は1月3日に札幌から飛んだそうだが、なんと、またしてもトラブルで出発できず、別の飛行機に乗り換えて2時間遅れで発ったという。
飛行機のトラブルは、やはり魔女のせいだった。
(注) 十勝岳温泉凌雲閣は、いまでは近代的な宿に改築されました。
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