初めての西穂山荘

1993年4月12日〜15日

 焼失前の西穂山荘は、YhさんとYmさんが生まれて初めて泊まったといういわくつきの山小屋です。思い起こせば2年程前、立山に行く途中、新穂高で前夜泊をした時のこと。翌朝、宿の新聞で『西穂山荘焼失』を知って驚いたのが、つい最近のことのように思い出されます。新装なった西穂山荘にいつか私も行ってみたいとずっと思っていたのですが、「いつでも行ける楽なところ」という感覚が災いしてか、いままで行けそうで行けませんでした。
 今年の冬は上高地にも縞枯にも行けず身体がなまっていたので、当初の予定を変更して、春山のトレーニングを兼ね、念願の西穂山荘に行ってきました。

 さて、今回は車中泊がちょっと辛かったので、初日は中尾高原に宿をとりました。花冷えの頃で、4月というのに夜は1週間くらい雪が降り続いていたとのこと。その夜も雪がちらつき、早々に寝ました。ガスがやっと晴れたのは、日の出直前、明るくなってからでした。
 翌朝、私が西穂の頂上まで行くと勘違いした宿の奥さんが、「ロープウェイの始発に間に合うように」と親切にも早々に起こしてくれました。お陰で他の宿泊客より30分早く食事をして宿を出発。第2ロープウェイから乗るつもりで北アルプス大橋を渡って鍋平へ入ったのですが、一面の雪で駐車スペースが無く、仕方なく深山荘前の無料駐車場まで下りてきて車を停めました。ロープウェイはJAFの割引券(会員証と一緒に送ってくる切り離して使うやつ)を初めて使いましたが、ちゃんと割引になりました。乗客は全て一般の観光客で、ザックを背負った姿を好奇の目で見られるのが辛いところです。それでも、某ロープウェイのように、ド派手な服装のスキーヤーから蔑んだような目で見られるよりはマシといえるでしょう。
 千石平の天候は晴れ。−7℃、視界良好。プラ靴を履いた60代くらいのおじさん(小屋まで日帰り単独行)が出発するところを見送ってから、こちらもゆっくりジャケットを着込み、日焼け止めを塗り、水をポリタンに詰めて…と、1時間くらいだらだらと準備をして、すぐ目の前に見えている西穂山荘目指して出発しました。トレースは最初のうちは「30pくらいの深さのU字溝に、くるぶし程度まで新雪が積もっている」といった雰囲気でしたが、最後の登りの途中からは膝までのラッセルになり、小屋までたっぷり2時間かかりました。樹林帯をやっと抜けて小屋の裏手に出た所で、すでに弁当を食べ終えたと思われるさっきのおじさんが、すれ違いざま「遅かったですね」と言って帰っていきました。
 小屋でラーメンを作って食べてから、撮影場所を下見。周辺は膝から太腿あたりまでズボズボで、輪カンが欲しくなります。そのくせ小屋のほんのすぐ上の稜線は完全にクラストしていて、風がやたら強く、夜の撮影は辛そうでした。最終的に、小屋のすぐ裏手の西穂のピークがよく見える所と、上高地方面へ少し下った焼岳がよく見える所の2ヵ所を撮影場所に決定。そこまでのトレースを付けておきました。しかし、残念ながら夕方には雪が降り出し、結局、一晩中吹雪となってしまったのです。この日の宿泊客は私1人だけでした。

 翌朝、やっと雪が止んだので、午前中は小屋周辺でガスの切れ間を狙って焼岳や穂高を撮影。昨日苦労して付けたトレースは完全に埋まっていて、カメラと三脚を抱えて再びラッセルするはめになりました。昼食は小屋の「おでんライス」(カレーを頼んだけれど在庫切れ)。午後は晴れてきたので、アイゼンと目出帽を取り出して稜線に向かいました。もちろんそんな時間から独標まで行く根性は無く、途中の尾根筋で撮影したり雪山を眺めたりして過ごしたのです。
 夕方、小屋に戻ると、フル装備の2人パーティーが来ていました。大阪のプロ山岳ガイドOさんと、どこかの社長さんといった初老の紳士で、山岳ガイドの苦労など珍しい話を聞くことができました。やはり同宿者がいるのは楽しいものです。
 この夜は、宵のうちは星も見えたのですが、そのうちまた下り坂になり、結局、月が昇る夜半過ぎは凄まじい地吹雪となり、撮影は全く不可能でした。

 最終日の朝、意地の悪いことに、やはり日の出のころからガスが少しずつ切れてきました。しかし、視界は回復しても強風は止まず、早朝西穂に向かった2人もすぐにあきらめて引き返してきました。Oさんが「しばらく待機して独標まででも行きましょうか」というのを、社長さんが「また来れば良いから温泉にしよう」と言って、彼らも下山することに決定。ガイド料は1日につき68,000円だとか言っていましたから、つくづく「金持ちは良いなあ」と思いました。
 2人より一足先に小屋を出発。途中までトレースは影も形も無く、膝上ラッセルという状態でした。下り始めてすぐに、変なところの木の幹に標識があったことと、正規のルートの方向が吹き溜まりで雪の土手になっていたことから、ルートを外して10mほど下ってしまい、雪にはまり込んで苦労させられました。

 とんでもない情景が目に飛び込んできたのは、下り切ったあたりで登りの単独登山者と出会って少々立ち話をし、それから千石平方面へ少し登り返したあたりです。向こうから、学生風の女の子が2人、雪に足を取られながら歩いてくるのです。ハンドバックすら持たない全くの空身で、服装はジーパンにセーターのみ。そしてなんとゴム長靴。手袋も帽子もサングラスも無し。ロープウェイの駅までまだ20分近くかかるはずです。一瞬、小屋のバイト嬢かと思ったのですが、あまりに場違いな格好です。そのあたりはトレースもはっきりしてはいましたが、それでも長靴ぎりぎりくらいの新雪が積もっています。
  「その格好で行くんですか〜?」
  「小屋までのつもりなんですけど…」
  「手袋も無し?」
  「忘れちゃったんです」
  「このあたりまではいいけど、これから先は雪が深くて、まず無理ですよ」
  「それじゃあ無理せずに行けるところまで行ってみます」
  「絶対無理しないように…」
 晩秋、吹雪のみくりが池温泉にミニスカートで来る女の子といい勝負です。本来なら止めるべきところかも知れませんが、天候はまずまずで、急変する様子もありません。どうせすぐに立ち往生するに決まっているし、小屋で同宿した2人がすぐ後から来ることが分かっていたので、そのままやり過ごしました。後から来るOさん(国立公園指導員でもある)に見つかれば大目玉をくらうでしょうが、それも良い経験でしょう。結局、2人はすぐに引き返したらしく、私がロープウェイの駅に着いたときには追いついてきました。「長靴があれば小山まで行けるよ」と下で聞いたのだそうです。たぶん泊まった宿で長靴を借りて出かけて来たのでしょうが、上は荒れた冬山と化しているというのに、一体誰がそんな馬鹿げたことを言ったのでしょうか。
 駅でコーヒーを飲んでゆっくりしているうちに、小屋で同宿した2人も下りてきました。山を見ながら正月登山の話や岩登りのルートを聞いたり、しばらく雑談して下界に下りました。早速、深山荘の風呂に入りに行ったのですが、掃除のために湯を抜いたところでダメ。そこでターミナルのアルペン浴場にいったら、冬季休業(営業は4月下旬からだそうな)で閉鎖されていて、仕方なく栃尾の露天風呂に入って帰って来ました。


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