晩秋期の燕岳

1994年10月25日〜28日

 1994年の秋は長い休暇が取れなかったので、久し振りに燕岳(つばくろだけ)に登ることにした。いままでに撮影した写真はいずれも微妙に気に入らない部分があるので、あわよくば一気に差し替えてやろうという心積りだった。

●5年越しの感傷

 素晴らしい秋晴れのもと、紅葉真っ盛りの中房をあとにして登山開始。秋の朝の空気は冷たく、5年前、晩秋に初めて降雪後の燕岳単独登行した時の不安感が懐かしく思い出された。あの時はまだ布+ゴア製の登山靴しかなく、雪に対する不安がかなりあった。今回は「ぜひとも冠雪がありますように」と祈るような気持ちだったわけで、5年間の登山経験の成果に、なんとなく感慨深いものがあった。
 この時期はすれ違う人もほとんどいない。富士見ベンチからは、南アルプス、富士山、八ヶ岳、美ヶ原の山並みが良く見えた。ベンチの上にある遭難者の慰霊碑には、いつものように缶ビールが供えてあった。「もし自分がいつか山で逝ったら、私の仲間もこんなことをしてくれるのだろうか…それとも…」などと、遠い山並みを眺めながら感傷の秋に浸った。

●雪がない…

 5年前は合戦小屋から雪道となったが、今回は稜線まで見事に雪が無かった。通常の燕岳のイメージは「緑の斑点に白い岩」といったところだが、緑であるべき部分がすべて濃い焦げ茶色で、雪の遅い年の晩秋の、独特の凄味ある風景を呈していた。
 燕山荘にはヒュッテ大槍の支配人のKさん(通称、大槍のご老公)がいた。いつものように大槍の小屋を閉めた後は燕山荘で働いているということで、三ツ峠富嶽会写真展でお目にかかったという話から、写真談義に花が咲いた。泊まり客は10人で、2日前から連泊している小屋の常連という6人連れのおばさんグループ(もちろん物凄くうるさい)以外は、年配の夫婦と単独のおじさんだけで、私は例によって一番の若造だった。
 この日は、残念ながら夕方から雲が出てきてしまい、夜中に何度か起きてみたが、写真を撮れるような状況ではなかった。

●素晴らしい雲海

 翌日、前夜の曇り空が嘘のような快晴となった。素晴らしい雲海が安曇野側だけでなく湯俣側にも広がっていた。
 例のおばさんグループは「今日は餓鬼岳の方へ行こう」とはしゃいでいた。私も小屋でゆっくりコーヒーを飲んだ後、北燕岳まで行ってみることにした。燕山荘には何度も来ているが、北燕岳まで足を延ばしたのは初めてだ。小さなとんがりがいくつもある北燕岳は、なかなか急峻でおもしろい山だった。遠くからおばさんたちの騒がしい声が聞こえてくる。後で聞いたら、東沢乗越まで行ったということだった。
 午後からは、小屋の周辺や喫茶室で過ごし、Kさんに春の燕岳の状況や三ツ峠の様子など、いろいろな話を伺った。小屋は閉める準備に入っていて、外壁のペンキ塗りが行われていた。朝からの雲海はそのまま一日中ずっと消えることもなく、安曇野側、湯俣側の両方を埋め尽くしていた。小屋のバイトに聞くと「今年は秋になっても、ずっとこんな調子の日が多い」という。湯俣側にこんな雲海を見たのは初めてだった。遠く槍ヶ岳まで雲海が続き、海の向こうに突き出た岬のように見える。
 日没後、夕焼け空と雲海のあまりの素晴らしさに、小屋の裏手で槍ヶ岳を狙ってみた。まるっきり露出の見当がつかず、星がかなり見えるようになったころ、まずは適当に1コマ。続いて段階露出を…といったところで夕食の時間になってしまい、あわててもう1コマだけ撮ったのだが、シャッター音がおかしい。タイム露出のつもりが機械シャッターで切れてしまうことがよくあり、今回もそれが起こったようだ。普通なら再度同じ露出で撮り直すところだが、燕山荘は食事の時間に遅れると良い顔をしないので、結局撮影を中断した。
 あとから見ると、予想通り2コマ目は写っておらず、1コマ目はかなりの露出オーバーだった。「傑作をモノにできたはずが…」と悔やんでも後の祭りである。やはり朝夕の撮影では、フィルム1本分程度の段階露出は行っておくべきだろう。小屋泊まりだと、どうしても夕食の時間がネックとなって、夕方の写真が撮りづらい。今後の課題だ。

●おばさんが騒がしい

 翌日には帰らなければならないので、この日は月が昇るまで仮眠することにした。ビールを飲んで布団に潜り込んだが、例のおばさんたちが食堂で盛り上がっていて、ちょっとしたことで「ウワァー!」とか「キャーッ!」とか大声を出して、おまけに手を叩く。2階までガンガン響いてきて寝れたものではない。消灯時間の21時を過ぎてもKさんを巻き込んで騒ぎ続け、やっと騒ぎが収まり小屋の電気が消えたのは22時を過ぎたころだった。結局、まったく眠ることができず、23時にカメラを抱えて外に出た。
 残念なことに、湯俣側の雲海はきれいさっぱり消えて無くなっていた。見上げるとオリオンが思ったより高い。あわててカメラを構えても、ヨコ位置では入ってくれない。やむなくタテ位置で小屋とオリオンを入れて、15分露出の一発勝負で撮影した。少々不安は感じたが、段階露出をしても、オリオンが高くなって小屋との位置関係が悪くなってしまうと思われた。
 その後はひとまず小屋の周辺で、槍方面の稜線と燕岳の日周運動を狙った。4年前に撮影した時のような稜線に吹き上げるガスが無かったのが残念だが、秋の燕岳をシャープにキッチリ撮ることができた。
 シリウスが高くなったのを見計らって燕岳の方へ移動し、今度は5年前と同じ構図をとった。今回は稜線にまったく雪が無かったわけだが、とにかくトリミングの必要の無い画面構成を心がけた。このころから、上空を高雲が横切るようになってきたが、構わずにタテ構図、ヨコ構図と変えて撮影した。

●夜明けのシャッターチャンス

 薄明が始まったころ、槍方面に向けて最後の(つもりだった)9コマ目の露出を開始した。薄明のかかった青い空の写真は、一晩で1コマしか撮れない。露出の見当がつけにくいため、薄明に消えていく星を見て、いつも途中で「シャッターを切りたい」という誘惑にかられてしまう。今回は露出を30分と心に決め、「当たりますように」と祈りつつシャッターを開けた。
 ところが露出開始後、安曇野側の雲海の下に穂高町の街明りが見えていることに気づいた。雲海の上には朝の光がほのかに差し込んでいて、大変なシャッターチャンスだ。しかし、まだ9コマ目の終了予定の5時15分までは時間がある。このコマを捨ててしまう決断もつかず、どんどん明るくなっていく空と時計を交互に見ながら大いに焦った。フィルムはあと1コマ分しか残っていないので、できれば新品に詰め替えたいし、レンズも長いものに変えたい。
 結局、シャッターを閉じた時点で空は相当明るくなってしまっていて、フィルムとレンズを交換する余裕はまったく無かった。急いでカメラを東に向けて、またまた30秒の一発勝負となった。できあがった写真はそこそこの露光状態ではあったが、構図も星の写りも悪かった。あと15分早くカメラを向けて、レンズを90mmに換え、フィルム1本分の段階露出をしていたなら、これまた傑作ができただろうに…。9コマ目が成功していたのがせめてもの救いだった。

●脱皮の時期か?

 今回の撮影行は、最初と最後のコマで傑作になり得る写真をモノにできず、非常に悔しい思いをした。中間のコマはすべてそつなく撮れていたが、稜線を体裁良く入れるだけの写真からそろそろ脱皮すべき時期に来ていることを、5年の歳月の流れとともに強く実感させられた。今回までで秋のオーソドックスな燕岳はほぼ撮り終えた感があるので、今後はその時の気象条件などを主体とした写真を狙っていこうと思っている。


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