長い長い山の旅

1995年10月14日〜22日

 1995年は10月14日から3連休という勤務ローテーションで、代休と休暇を少々追加すれば、久し振りにゆとりのある撮影山行ができると喜んでいた。
 ところが、10月14〜15日に松本の浅間温泉で大学の同好会のOB会、21〜22日にも上田の田沢温泉で仕事関係の会合が行われることになった。どちらも、まぁ出席せざるを得ないが、2週続けて信州方面へ遠出するのももったいない。往復の交通費を考えると山小屋で2泊はできる。ええい、ままよ!
 というわけで、その間ずっと山ごもりを決め込んだ。ヒンシュクものの10連休である。

●浅間温泉から中房温泉へ

 大学の同好会のOB会は、年1回、東北〜中部各地の温泉で行われている。今回も全国から60名が集まった。最長老の私などは知った顔が数名しかいないが、長老組で昔話をするのもまた楽しい。集まった自家用車10数台のうち、インプレッサが3台もあった(WRXが2台、HX−Sが1台、すべてワゴン)のにはあきれてしまった。
 今回は山中に4〜5泊できるが、残念ながら月の条件が良いのは前半のため、なるべく早く稜線に立ちたい。そこで、燕と大天井で連泊して新しい発想の構図を試みることにした。15日は松本城やトンボ玉博物館を見て時間をつぶし、中房温泉泊。リフレッシュ休暇で燕から餓鬼へまわるというおじさんと相部屋になった。

●燕山荘3連泊

 16日はまずまずの晴天。いつも通り、8時30分に登山を開始し14時に燕山荘到着。今回も雪は全く無し。大天井の小屋が営業を終了したと聞いて愕然としたが、しょうがない。とりあえず燕山荘に何泊かすることにした。ビールを飲んで夕食まで寝る。これまたいつも通りだ。
 夕方から天気が崩れた。雪を期待したが残念ながら強い雨。その雨音も夜半ごろには消え、3時すぎになってガスが晴れてきた。すぐに明るくなるが、夕方と明け方の写真をモノにするというのが今回の最大の目標なので、起き出して夜明け間近の写真を撮った。東の空に明るい星が無いのが惜しい。明けの明星の見られるころに再挑戦しなければならないだろう。
 以後、燕山荘にいる間は延々と快晴が続いた。17日の昼間は、大槍のKさんと写真談義したほかは、ほとんど1日中ごろごろしていた。夜のために寝ておこうと思うのだが、神経が高ぶっていたのか、ビールを飲んでも熟睡できない。いま思うと、これで睡眠のペースが少々狂ったようだ。
 この夜は完全な徹夜。表銀座の稜線には夕方カメラを向けただけで、あとは穂高町方面の雲海と街明かり、岩のオブジェ、悪魔の館の構図を中心に日の出まで撮影した。天気が良すぎて雲海はパッとしなかった。
 18日の昼間も、徹夜明けだというのに掃除の音がうるさかったりして熟睡できない。しかたなく燕岳まで散歩にでかけたりした。支配人の好意で同じベットを占領できた。
 次の夜は雲海がまったく消えてしまって、街明りの悪影響が出た。あまりに天気が良すぎるのも困りものだ。昼間寝られなかったため少々頭痛がしてきて、夜半には撮影を終了し、翌日は下山することにした。非常に暖かな秋で、ついにダウンは出さずじまいだった。

●燕から立山へ

 19日の朝、相変わらず晴れているが、やっと少し雲が出てきた。田沢温泉まであと2泊。下山しながら行き先をあれこれ考え、八方池に映る星を狙うことに決定。有明荘で温泉に入ってから白馬を目指して出発した。
 ところが途中でアルペンルートの看板を見て、ふと立山へ行く気になった。一度くらい大町側から登ってみるのもいいだろう。問題は最終のトンネルバスに間に合うかどうかだ。ダメだったら八方池ということにして扇沢まで行ってみると、かろうじてセーフ。さっそく天狗平山荘に電話してトロリーバスに乗り込んだ。
 室堂までの往復料金はさすがに高かったが、心配したほどではなかった。割引率が大きいのだろう。小学校の時、映画「黒部の太陽」で見たダムの上を初めて歩き、なんとなく感動。この時間帯の乗客は黒部ダムまでの往復の人ばかりで、大きなザックが目立ってしまう。デイパックの単独行のあんちゃんに「僕も本当は室堂まで行きたいけど、自信がないので黒部ダムまでにした」とうらやましがられてしまった。何のこっちゃ?(苦笑)
 天狗平山荘ではオーナー親子がいつもの笑顔で迎えてくれた。朝、燕岳にいたことが信じがたい。アルペンルートの便利さを実感した。
 長い晴天もついに終わり、夕方から霧雨が降り出した。この夜は完全休養。食堂で水割りをご馳走になりながら、小屋の人たちと消灯時間まで談笑した。

●立山縦走

 20日の朝、立山はうっすらと雪化粧していた。夜半過ぎに雪に変わったようだ。ガスが多いが天気は良い。体調も万全なので、立山三山を縦走することにした。アイゼンとピッケルは車に置いてきたが、まあ大丈夫だろう。カッパ、スパッツ、ダウンのインナー、カロリーメイトをサブザックに詰めただけの軽装で出発。小屋の車で室堂まで送ってもらい、ターミナルで昼食用の牛乳パンと缶コーヒーを買い込んだ。
 一ノ越への途中から雪の道となったが、特に問題もなく軽快に高度を稼ぐ。2人分の先行者のトレースがあるだけだ。雄山神社の社務所はすでに閉まっていたが、雄山の頂上へのゲートを乗り越えた足跡が雪の上についている。私も真似を…(自主規制)。社務所の軒先で早めの昼食を取り、縦走路へ。
 途中、フル装備の単独登山者とすれ違い、言葉を交わした。こちらはあまりの軽装で、ちょっと恥ずかしい。稜線だというのにほとんど風もなく穏やかで、カッパを着る必要もないのだ。大汝山、富士ノ折立、真砂岳とあっけなく過ぎる。剱岳がガスに見え隠れし、上空は濃い青空だ。
 剱御前小舎でコーヒーを注文し、食堂に上がりこんで支配人と1時間近く話をした。ここでも完全に顔を覚えられている。バイト時代は若々しいイメージだった彼も、1シーズンで支配人生活も板に着いたようで、それなりの貫禄が出てきていた。
 雷鳥坂も軽快に下る。荷物が軽いということはこんなにも楽なのかとつくづく納得し、地獄谷から直接天狗平へ向かうルートをとった。
 ところが、初めて通ったこの道が実はとんでもない道で、それまで快調に歩いていたのが一気にドッと疲れてしまった。
 あとでこのことを天狗平のおやじさんに話したら、「あの道はみんなショックを受けるんだ」といって大笑いされた。別に悪路ではない。気持ちの良い高原の道で、危険なところも、つらいアップダウンも全くない。しかし思わず「ナニィ?!」と叫んでしまう。どうトンデモナイかは言わずにおきましょう。皆さんもぜひ一度歩いて、ショックを受けてください。
 この夜は快晴。月は無くとも長時間露出すれば何とかなるだろうと夜半まで撮影。しかし結果は全くダメ。やはり薄化粧程度の雪では月明りが欲しい。
 翌朝は早々と扇沢へ下り、大町の温泉博物館で露天風呂につかって長い長い山旅の垢を落とし、最終目的地の田沢温泉へ向かった。

(クイズ) この9日間で、何か所の温泉に入ったでしょうか?

* 天狗のおやじさんは、2002年12月に永眠されました。突然の訃報に接し、あまりの
  ショックに、しばし言葉もありませんでした。いまでもあの笑顔が浮かんできます。
  ご冥福を心よりお祈りいたします。


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