私と同世代の天文趣味人なら、1972年のジャコビニ流星群の、あの「世紀のカラ振り騒動」はよく覚えていることだろう。それ以来、「流星雨を見ること」が私の生涯の夢となった。
この流星群の母彗星は6.5年周期で帰ってくる。従って、地球は13年ごとに、流星物質の固まりとぶつかる可能性があるとされている。13年後の1985年にはかなりの出現があったのだが、世紀のカラ振りの苦い思い出のせいか、事前にはほとんど話題に登らなかった。私もそれなりに気にしつつも、地元で行われた某会の懇親会にかり出され、ビールを飲んでいたのである。あとで出現を知って、非常に悔しい思いをした。
さらにその13年後の1998年。世間では夏ごろから「11月のしし座流星群が大出現するかも?」といううわさで持ちきりだった。それにつられてか、ジャコビニ群も多少は話題になった。予想では10月9日の明け方4時ごろがピークという。
満月という悪条件とはいえ、これは万難を排しても見に行かねばならないだろう。
10月8日の夕暮れ時、私は開田高原の木曽馬牧場の孤樹のところにいた。太陽が沈んでいき、美しい夕焼けが見えた。まわりに人影はまったくない。とりあえずの偵察を終えて、いったん木曽福島に下りてラーメンを食べ、コンビニで夜食用のカップ雑炊を買い込んだ。
開田に戻る道すがら、車窓からいくつかの流れ星が見えた。まだ月が昇らない19時ごろのことである。牧場に到着し、まずは気を落ち着かせて、ゆっくり空を眺めることにした。スピードの速い、経路の長い群流星がちらほら流れる。26年目にして初めて、念願のジャコビニ群とのご対面である。
やがて月が昇ってきたので、EPPをカメラに詰めて、とりあえず木と星の写真を撮りながら待機。21時ころにはかなり流れるようになったので、これはひょっとすると大流星雨になるかもと、いやがうえにも期待は高まってくる。いつでも流星に狙いを変えられるように、予備のフィルムバックにE200を詰めて準備し、アスファルトの道に座り込んで空を眺めていた。
あとから振り返ってみると、22時前後がピークだったと思う。そのころにはペルセ群並みの出現になり、「これはあと1時間もするとすごいことになるかなぁ?」「もう少し流れるようになったらカメラを向けよう」などと思っているうちに、やがてピタッと流れなくなってしまった。
ということで、あまり熱心に撮る気もなかったこともあり、流星の写真はスカだった。でも、まあ、見ることが出来ただけで良かったと思っている。
その後、朝まで徹夜で写真を撮って、昼間は仮眠。9日の夜遅くにYhさん+その友人と中房で合流。10日に燕岳に登った。
燕岳でも良く晴れ、またしても徹夜で撮影。もう昔のような体力がないので、非常にハードな4日間だった。
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