吉野幻想

1993年4月17日〜18日

 桜の花と星の写真というのは、誰でも一度は撮ってみたいと思うテーマだろう。桜の花には(とくに夜桜は)人の心を引きつける強い力があるのだ。美しく咲き、散っていく桜は、古くから人に世の無常を感じさせる。吉野山の桜は南朝の悲劇を背負い、その夜、闇の中に妖しく咲きほこっていた。

 天気の良かったその日、私はかねてより計画していた吉野山の桜と星の写真を撮影すべく奈良県吉野山へと向かった。深夜12時頃現着した私は、まず吉野神社の鳥居を背景に数コマを撮影。しかしこの季節、北向きのこの場所では、北天に目立った星がないために写真としてはあまりぱっとはしないようだ。この「鳥居と星」というイメージは、今回ここへ来ることを考えて固めておいたもので、撮影に行く前にどんな写真を撮るかあらかじめ考えておくのは現地で効率よく写真を撮影するのに役に立つと思う。
 ここでの撮影を30分ぐらいでやめて、今度は場所を変えて桜の木のある吉野山中千本へレガシィで突入していった。吉野山の道路は中千本へ入ると車がぎりぎりすれちがえるほどの道幅しかない。おまけに坂道の傾斜はきつくヘアピンカーブや急なコーナーが連続しておりなかなかに楽しい。さすがに丑三つ時に近くなっているのであたりには人影も車影もなく、車に乗ってなければ武者姿の亡霊のひとつも現れてもおかしくないような静けさだ。
 私はまず蔵王堂の横のエスケープゾーンに車を止め、付近を偵察に行くことにした。吉野の蔵王堂は日本の木造建築の中でも東大寺大仏殿に次ぐ大きさで、夜桜の中にその壮麗な姿を浮かび上がらせていた。京都や奈良の史跡は夜になると扉が閉まってしまってまず中に入ることはできないけれど、ここでは重文指定の建物にいとも簡単に近づけてしまう。しかしこの建物は大きい。「マミヤの45ミリでは屋根しか入らないな」などとつぶやきながら撮影位置を探して境内を歩いた。桜をライトアップするためのハロゲンランプがかなり明るかったが、何とか星は写りそうだった。しかし、ライトの直接入らない構図となるとなかなか難しいように思えるのであった。
 ともかくここでの下見はこれぐらいにして、山頂の展望台までいってみようと思って車を走らせた。吉野山などというと全山桜の木に覆われている姿を想像しがちだが、山の南斜面に回るとむしろ杉の木が多い。道の両側はいまや鬱蒼とした杉の林に覆い尽くされ昼なお暗きその道が、夜の闇のなかでは古事記にある黄泉の国につづく洞窟を彷彿させるのである。やっとのことで山頂展望台にたどりついた私は、しかしそこまで来た行為自体が無駄だったことを瞬時に理解することとなった。というのも、山頂ではまだ桜の花が開花していなかったからである。
 しかたなく中千本までひきかえし、もう一度蔵王堂前の満開の桜を取り込んだ構図に取り組むことにした。屋根は一部しか入らないものの真正面からの構図が一番安定しているような気がしたので、そこに三脚を据える。ちょうど北斗七星が屋根の上にかかる位置にあり、その根元には“死体の埋まっている”という桜、お堂の屋根、死者を運ぶ北斗七星の馬車が一つ構図のなかにまとまって、何やら物語りめいた文学的にも意味のある作品として成立することとなった。しかし、ともかくここはライトアップのライトがきついので、露出はせいぜい10分程度しかかけられなかった。
 蔵王堂での撮影はこのぐらいであきらめるしかなかったが、もう少し暗いところで今度は杉の木を入れた構図で山桜をイメージした作品をつくりたいと思い、ヘアピンの道路脇から山の斜面に立っている桜を撮影した。ここでは全く人工の灯も自然光もなかったので、車のヘッドライトを露出の最後に点灯することによって、桜の木だけをうかびあがらせるやり方を試してみた。そうこうしているうちに、はや空が白みはじめてきたので、撮影を終了して仮眠をとることにした。
 明け行く空に妖の夜は消え、人のごったがえす昼間の観光地吉野にかわるのはもうすぐだった。


BACK