月夜の地獄谷

1994年9月23日〜25日

 「来週、ニューレガシィのテストに立山の温泉に行かない?」というKtの言葉で、その旅立ちはあっさり決定された。友人で車の所有者でもあるSuは、だいたいこういうことには「ノー」の返事をしたことがないのだ。

 そういうわけで2人は9月23日の朝、名古屋駅で待ち合わせて立山へ出発した。Suの運転で22号線を岐阜へ向かう。運転しながらSuは、「Ktさんも早くニューレガシィにしなよ、来年車検だから半年残っているいまがチャンスだよ。スバルのおじさんも、50万円でとってくれるって言ってたじゃない」などと、ディーラー顔負けの熱心さですすめてくる。Ktは「オレは今の車が気に入っているんだ、Suちゃんのようにコロコロ車を変えるのは、車に対する愛が足りない」などと反論した。
 1時頃高山市をぬけた二人は、とんかつ専門店のカンバンをみつけて昼食をとり、運転をKtにかわった。Ktはうきうきしながら「オレにまかせろ」などと口走ったが、やっぱりはじめての車にとまどい、「この車のクラッチは変な遊びがあるね」などと車のせいにしていた。しかし運転自体は順調で、3時頃には立山駅に到着した。

 登山電車、バスをへて室堂へ到着。天候は快晴。紅葉がまぶしいほどに美しく輝いていた。ターミナル駅3階より遊歩道を歩いて“みくりが池温泉”に向かう。Ktはもうここに何度もやって来ているので、「あれが剣御前、あっちにおりていくと地獄谷」と、わけ知り顔で解説していた。
 宿に着き、荷をといて、下見のためにあたりを散策。高地順応していない体にはかなりきつかったが、撮影ポイントをいくつかみつけることが出来た。日没をまちながら夕食をたべる。ここの夕食はけっこう豪華だ。食事のあとKtが外へ偵察にでた。山裾からガスがあがりはじめている。上空もガスにおおわれつつあった。Ktは「これは今晩ムリかもしれないね」と早々にあきらめ、疲れちゃったからもう寝るね宣言をして寝ころがって本をひらいて読みはじめたが、Suは「夜が更けてくれば、ガスも下がっていくかも」と期待をもっているようだった。
 11時頃おもてへ出てみると、Suの言うようにガスが下がりはじめ、天頂方向より星空が見えはじめていた。相部屋の三段ベットのいちばん上にいた二人は、他の人達を起こさないようにしながらはしごを降りて、カメラと三脚をもって外へ出たのだった。Suは「僕はみくりが池をいれた写真が撮りたい」と言って池のほうへ歩いていったが、Ktは「ここで見上げるような構図がとれるのは、地獄谷の中だけだろう」と思い、宿の横を地獄谷方面に下っていったのだった。
 地獄谷に降りてゆくと、そこはおりからの月光に照らされて昼間とは違ったあやしい風景を現出していた。山肌や遊歩道のそこかしこから吹き出す高温の蒸気が月光に照らされ、昼間よりハッキリ見え、それが谷底の影になっている部分から浮き上がり、非常に立体的な風景を構築していた。しかしながらその風景は、観察しているKtから見ると月の方向、つまり逆光になっていて、写真に撮ることは出来ないのであった。しょうがないので、Ktは夜目にも鮮やかに闇のなかに浮かび上がる鍛冶屋地獄の風景を撮影したのだった。
 地獄谷での撮影が一段落したKtが息を切らしながら宿の前まで戻ってくると、Suがみくりが池のまえでカメラを構えているのにであった。Ktが「どうだね、うまい構図がみつかったかい」と尋ねると、Suは「ここは広すぎて池と山をいれると星空が入らない」といった。そうこうしているうちに、大きな月が中天を支配しはじめ撮影条件が悪化してきたので、写真のほうはいいかげんに撮りながら月光にうかぶ山々をながめていたのだった。

(注) 現在、地獄谷は環境省の火山ガス安全対策による通行規制により、
    夜間通行禁止となっていますのでご注意ください。


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