オーストラリアの星

1994年4月11日〜20日

 旅行へ行く時は出来るだけ星の写真を撮る事を心がけてきた私が、初めての海外旅行に行く事になり、それがオーストラリアとなれば写真を撮らない手はない。しかし、今回は普通の旅行とは違うし、どうやって抜け出すか、下手な事をすれば一生嫌味を言われるしと思いつつも、とりあえずカメラと三脚をスーツケースに詰め込み準備を済ませたのだが、前日迄の慌ただしさについうっかり南十字星の位置の確認も忘れて出発することになってしまった。
 飛行機はトラブルの為2時間遅れの22時出発で、待ちくたびれたのと慣れぬ機中泊と、さらに早朝4時の入国手続き、乗り替えと続き、初日のシドニー観光は頭がボーッとしてしまうあり様で、シドニー湾、オペラハウスを見学、こんな所で夜写真を撮りたいと思いつつも、地理不案内と言葉の壁とかみさんの事と、不安を感じつつ、とりあえずホテルの近くでこそこそ撮るのが無難だろうと一人考えているのであった。
 しかし何と言ってもシドニーは都会、ホテルの周りはビルだらけで見通しが利かない。これではシドニーは諦めなければいけないと思っていたところ、通された部屋が15階のシドニー湾を見渡せる部屋。これなら口実を作って外へ出る事無く手軽に写真が撮れると、高いホテル代にも納得した。しかしこの絶好のロケーションにも天気には見放され、2日間の滞在中曇りと雨にたたられてしまい、2日目の夜からはストームという台風の様な天気になり、3日目の移動の飛行機が欠航になる始末。
 今回の旅行は、飛行機にはどうもついていないらしい。おまけにこの時の添乗員の対応は全くひどいもので、変更になった飛行機の出発迄4時間近くもあるにもかかわらず、我々の要求を無視して自由行動も無しに早くから何もない待合室に押し込んでさっさと帰ってしまい、我々は何もすることなく待ち惚けを食わされてしまった。この添乗員の態度に余りにも腹が立ったので、後日アンケートにクレームをしっかり書き込んで送った所、JTBから謝罪の手紙が届いた。
 次の滞在地メルボルンも都会で、ホテルはビルの谷間で部屋から空を見ることも出来ず、ここからの撮影は断念。しかし街の中はヨーロッパ調の素晴らしい建物ばかりで、ほとんどの建物がライトアップされており、最高の夜景を満喫する事ができた。夜景の撮影には最高の街ではあるが、星となると明る過ぎるのと建物が大きすぎて、星と一緒に撮ることは難しく感じた。しかしここは本当にお勧めの街で、オーストラリアへ行く機会のある方は是非コースに入れてもらいたい所である。
 オーストラリアで初めて星が見られたのは、ペンギンパレードを見にフィリップ島へ行った時である。メルボルンからバスでひたすら2時間走った田舎で、夕方ペンギンが海から浜辺の巣へ戻る光景が見られる所である。フェアリーペンギンの群れが上陸する可愛い光景を見に、何十台ものツアーバスがやって来ている。さすがにここは空が暗く、初めて南十字星を見ることが出来た。街灯を避けて歩道の片隅に三脚を立て、やっと撮影に成功。妻に星座の説明をして点数を稼ぐ。しかし後で出来上がった写真を見ると、暗すぎて見た目よりも星が写っていなかったのが残念であった。
 最終滞在地のケアンズでは、初めて海外旅行の恐怖を味わう事になった。ホテルのそばに公園があり、ここなら近くて夜出て来るのも簡単そうだと思いながら、ヤシの木やモニュメントなどの撮影ポイントを物色しながら散歩をし、カバブというお好み焼きの様な物を買ってベンチに座って食べ始めた時だった。気を抜いた所をつかれたかのように、目の前に突然真っ黒な現地人の男が現れ「腹が減ったから1ドルくれ」と英語で言ってきた。「しまった、たかりだ」と思い恐怖心が背筋を走るのを感じたが、反面ここで取られるのは悔しいと思い、思い切ってとぼけてみる事にした。何を言ったか分からないという顔をして、日本語で「日本語しか分からない」と言うと、彼はゼスチャーを交えて「腹が減った」とまた言って来たので、食べていたカバブを差し出すとそれを受け取って去って行ってしまった。「勝った」いや「助かった」と思い隣の妻を見ると、完全に硬直してしまっていた。
 この一件があって夜公園を歩くのが恐くなり、この夜はホテルのプールサイドで撮影する事にした。少々明るいのが難点ではあったが、空は澄んでいて逆さに昇るオリオンと南十字星をカメラに納める事が出来た。様々な悪条件の中、何とか南半球で写真を撮ることが出来たが「写真を見て海外の雰囲気が無く、何処で撮ったか分からない」と言う辛口の評価を受けた事にはがっかりしている。


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