春遠からじ

1993年3月21日

 岐阜県・白川村は豪雪地帯として知られ、合掌造りは日本の田舎の原風景を今も残す集落で、雪に閉ざされた白の風景と冬空にざわめく星群との取合わせは絶妙で、寒さはおろか空腹をも忘れさせてくれる。しかも、白い地面のところどころに障子の明りが黄色く染め、人のぬくもりを感じさせ、そこはかとなく心が和む。その中に佇み埋没して仰ぐ星世界は忘れ難いものである。しかし、天候が日本海気候なのだろうか、それとも谷あいに位置するからなのだろうか、ガスも出やすく満天の星に巡りあう機会は極めてまれで、良い天気に巡り合った時の喜びはひとしおである。
 冬の白川に取り付かれて幾度足を運んだのだろうか。残念ながらいまだに決め手の欠けた写真ばかりで、今も未練たらしく年に2、3回出掛けるていたらくである。
 白川村への交通は、美濃太田からJR長良鉄道の玩具のような電車に揺られて北濃まで、そこからはバスで牧戸経由で行くか、名古屋から金沢行きのバスに乗るか、自家用者で出掛けるか、いずれにしても長い道のりである。

 3月21日、幸いにも晴天に恵まれて、この分ならば白川も間違いなく晴れているだろうとお昼の天気予報で最終確認して、重い腰をあげて撮影に出掛けることにした。撮影が合掌集落という特異な建造物の中で行うために、標準レンズで構図を取るのが難しく、画角の広い広角レンズに頼らざるを得ない。しかし、貧しさゆえに広角レンズも無く、限られた機材と景色の中で撮影を余儀無くされ、いつも地上風景との組み合わせで苦労をする。広角レンズを持っている人がしみじみ羨ましい。とりあえず中型カメラ2台と35oカメラ1台を用意する。フィルムは例によってエクタクローム400である。
 午後3時に出発、ルートは156号線である。関、美濃の町を過ぎる頃から国道は長良川に沿って走る。郡上八幡にさしかかるとそこここに梅の花がほころび、春の訪れを告げていた。
 白鳥にはいると、遠くに雪をかぶった山波が爽やかな青空に浮かび上がっていた。白鳥の町外れでガソリンを補給。両側の山には雪が見られる。白鳥から山を越えて蛭ケ野高原に到着。ゲレンデの雪は多くスキー可能かと思われたが、月曜日ということもあって閑散としていた。
 ようやく白川村に到着。あたりはまだ明るく、とりあえず今夜の撮影場所の下見をする。やはり観光写真に使われる構図は捨てがたいものである。
 夜を待つあいだに戦の前の腹拵え、山菜そばを食べながら食堂のおばさんに「梅の開化はまだかいのー」と、退屈しのぎにどうでもいいような会話を交わして、そばのまずさを忘れる。
 冬と春の狭間なのだろう。周辺の田畑や屋根の北側には薄汚れた残雪が冬の終りを告げていた。思えば、雪国にきて雪のない風景ほど詰まらないものはない。時節がらか観光客もなく、静かな山村の夕べである。

 7時から撮影を始める。場所は白川に行けば誰もがカメラを向けるところで、ちょうど屋根の上にはうさぎ座がかかっていた。2Bカメラと35oカメラで、合掌造りと善照寺との組み合わせでうさぎ座を撮影。いつもながら一人ぼっちの撮影では露出中はさびしいかぎり。といって今更星見でもなく、仕方なく周辺を犬ころのように歩き、時には狼おじさんになって、か細く遠吠えしながら過ごす。冬と違って寒さが緩んでいるのが唯一の救いである。一通り写した後、撮影場所を合掌の里へ移動。雪中の合掌家屋と大犬座を視野に入れて撮影。里は川をはさんで集落とは反対側にあって、明りも乏しく、人や自動車に妨げられることもなく条件はいいが、無料駐車場もあり、春から秋の行楽シーズンは、一部の夜行動物がライトをつけて徘徊するものと思われ、撮影には向かないのではないだろうか。
 12時をまわったところで家路についた。

※ 後日談

 成果については、予想通りあまりよくない。みせたくなーい。
 写真の道程は遠く、どこにゴールがあるのだろう。


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