パラグアイの皆既日食

1994年10月31日〜11月7日

 黄熱病の予防注射まで打って、性懲りもなくまた日食のために南米のパラグアイにでかけた。パラグアイは南緯25°、その南はウルグアイ、そしてチリから遥か南極大陸につづくというとんでもない遠い所で、ガイドブックもなく、まったくの未知の国である。

●パラグアイへ

 ツアーのメンバーは8人。ガイドはSさんといって、若い頃は登山家として鳴らし、谷川岳で宙吊りになって2晩過ごして救出されたとか、砂漠をバイクで走ったとか、命を失い掛けること枚挙にいとわないという冒険野郎で、現在は写真家として活躍。旅行ガイドを執筆したり、世界の僻地、つまり旅行者が足を踏み込まない所に出掛けたりするという大変な人であった。そういう人であるから成田空港で会った時から普通の添乗員とは趣を異にし、口数も少なく、添乗員でありながら皆さんお好きにどうぞという感じで、いささか戸惑いを感じた。
 空港内には、我々同様某社の日食ツアーの面々約40人が夢と希望にふくらませ、たむろしていた。チリにでかけるグループで、同じ飛行機である。
 機内では、そのグループの中に愛煙家の小生はただ1人紛れ込んだ。3人がけで、窓側と通路側が日本人、真ん中にリオデジャネイロのミュージシャンという奇妙な取合わせ。日本に出稼ぎにきてビザが切れるために一時帰国するという。この男が良く喋り、良く食べ、とうとうサンパウロまでほとんど眠ることができなかった。しかも別れ際には何度か抱き付かれ、そんな習慣のない我々はいささか辟易した。
 ようやく、解放されていよいよパラグアイの首都アスンシオンにむかおうというとき飛行機が故障。どうなることかとみていたら、まるで自動車の整備でもするかのように小さな道具箱をぶら下げたお兄さんがニコニコしながらコクピットに入り約30分で修理完了。心配されたが、飛行機は順調に11月1日昼過ぎにアスンシオン空港に到着。

●アスンシオンにて

 税関では事前の鼻薬がきいていたのか、中もみずにパス。ところが、人品いやしからぬ紳士風の小生が生け贄となって検査をされ、鞄の中のキャラバンシューズに興味を示している様子がありありと分かる。無理やり鞄の蓋を閉めて通過。マイクロバスで市内の日本食堂で遅い昼食をとり、そのまま市内の高台に作られた慰霊塔にでかけ、山もなく高いビルもなく360°どこまでも広がる爽やかな景観をみて感動。
 ホテルは、星でいえば2と3の中間といったところだろうか。部屋に入って天井の電灯のスイッチをいれると、電気は何時までたってもポカポカ、暫くスイッチをカチャカチャしていると、ようやく安定するというもので、シャワーはいつまでたっても水ばかり。それでも住めば都。いささか陰気臭いのが玉に傷であるが、まずまずといった所である。ホテルでは東京の某社ツアー40名と同宿、代表者の2人と名刺交換。医師を同伴というからさすがである。
 翌朝、まだ暗いうちにアスンシオンの街から車で約2時間のところにある観測地、ロサリオ牧場に出かける。途中で南天の観望。日の出をみながら日食時の太陽の経路をみて、テントの設営場所をとりきめる。さすがに牧場であるから牛や馬の糞はあたりまえであるが、それにもまして蚊の多いのには驚かされる。しかも日本の蚊より大きく、日の出前までは、顔をはじめそこらじゅうにまとわりつき、日が上り温度があがると叢に身をひそめる。
 午後は自由行動ということで町の中を散策。ところが昼の休みは3時間ということで閉めている店が多かった。本屋さんに立ち寄ってみたら原本ドイツのポルトガル訳の星座の本があったが、日本円にして4,000円と高く購入を諦めた。また、町の4つ角では、いいかげんな日食眼鏡を売っていた。しかし、日食がデザインされたTシャツは街のどこを見てもなく、なんとか手にいれたいものと聞けば空港で発売しているという。早速空港にでかけ1枚1,300円で購入。

●皆既日食

 11月3日、いよいよ日食の日である。夜中に広がっていた雲もなく、雲一つない空で、集合時間には少し早いが2時30分にロビーにおりると、フロント係が椅子で眠っていた。なにしろ言葉が通じないから、笑顔で挨拶。日本の飴の袋を手渡したら、大きな手で3個の飴を口に放り込んでバリバリ噛むのには驚かされた。外にでてオリオン座に指をさしたらナント知っていたのにまたまた驚かされ、南十字をクルスといって教えてくれた。こんなことなら少しはポルトガル語を覚えていけばよかったと思ったが、後のまつりである。3時にホテルを出発。牧場までの途中、有料の橋を渡るところで、Tシャツ売りが現れた。1枚500円という。安い安いであっという間に売り切れ。
 牧場に到着後、星の写真撮影。例の蚊がめったやたらに攻撃を仕掛け、刺される。事前にマラリアの心配はないということで、余り気にもしなかった。それより、普段馬や牛の血を吸っていたのに、味わった事のない栄養豊富な日本人の血を吸って、蚊のほうがショック死をするのではないかとおもって、腕に掴まった蚊を観察してみたが、そんなことも無さそうだった。ともあれ日本の蚊とちがって大きく、刺された後もそれ程痒くなかった。
 ところが、写真を写している間に、あれほど晴れていたのに見る見る雲が広がり、あっというまに星が見えなくなってしまった。日食には十分に時間もあり、さほど心配することもなかった。部分食が始まる頃はまだ雲があったが、いつの間にか晴れ、素晴らしい日食日和となった。夏の陽射しのもと、汗を流しながら欠けて行く太陽を見守った。
 今回の日食では星野写真が第一目的で、50oの望遠鏡、カメラ3台、レンズは24o、35o、50o、85o、三脚2本を持参し、皆既の星野写真は85oか24oにするかまよったが、結局は地平線の日食焼けも写そうということで、直前になって24oを使用することにした。太陽が90%ほど欠けた頃、金星が見え、大急ぎで望遠鏡のフィルターを外しダイヤモンドリングを待つ。そしてダイヤモンドリングからコロナまで、シャッタースピードを変えながらボタンをおしつづけ、つぎに、固定撮影を同じようにシャッースピードを変えて撮影。皆既時間3分30秒の内、約1分はカメラのファインダーでみて、後はすべて肉眼で皆既を楽しんだ。忙しいなかにも、なんとか肉眼で見ることができたのは大きな収穫だった。
 それにしても、暗い青空の中に浮かぶ黒い太陽と、金星、木星の輝く様子は、言葉には言い尽くせない美しさで、まさに神が人間に与えてくれた最高の天体ショーであった。また、皆既になって涼しくなったところで、それまで叢に潜んでいた蚊が一斉に飛び出して、顔に手にとところきらわずまとわりつくのも、ある意味では感動もので、生物の自然の営みの一端を垣間見せてくれた。

●帰途

 日食後、町にもどり日本食堂で昼食。そしてバスに乗って約6時間、ブラジルのイグアスへ。翌朝イグアスの滝を見学後、昼過ぎに飛行機でリオデジャネイロへ。ホテルで遅い夕食。朝、そうそう市内を見学後、午後11時にリオをたち帰国の途に着いた。


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