嫌なこと、嬉しいこと

1996年11月4日〜5日

 秋も深まり、冷たくなった夜風にそこはかとなく熱燗が恋しい季節となりました。夜長になった今日この頃、みなさんは Night and Day をいかがお過ごしでしょうか。多分、例によって忙しい振りをして、厚かましくも図々しくお暮らしのこととお察しいたしておりますが…。
 さて、御無沙汰いたしておりますが、私の住まいの町の町長がバットで殴られ大怪我をしたことで町の名が全国に広がり、いまもなんとなく町はざわめいているようです。

 それはさておき、私こと3月の百武彗星以来、カメラにふりむきもせず半眠状態で10月まで過ごしてきましたが、風の便りに皆さんの活動を聞くにつけ、これではいけないと一念発起(自覚するところがすばらしい)、早速、夜の写真屋(マニアではありません)らしく、月齢を調べ、11月5日に新穂高に出掛けようと珍しくも宿の予約を済ませた(やればできるのです)。そして、久し振りにカメラを取り出し日光浴をさせながら、新穂高の夜空の大傑作に夢を馳せ、のどかに鼻歌を歌いカメラの感触を楽しみ、掃除にとりかかったところ、いまから30年前の当時としては高級一眼レフ、ゼンザブロニカのレンズに、アノいまいましいカビが、これがカビだと手足を広げ、大きな態度で自己主張しているではありませんか。この阿呆、まさに驚天動地、今は昔、いくら使わなくなり展示品となってしまったとはいえ、私にとってはなにものにも代え難い宝物、いまさらながら悔やまれるがどうしようもなく、身にまとわりつくカビとの戦いの過去に思いを馳せ、とりあえずレンズを外そうとしたが、それなりの道具が必要ということで、今のところそのままにしてほうってある。皆さんのカメラは大丈夫でしょうか。用心用心…(人は私をカメラマニアといいますが、マニアというのは自身の体を洗わなくても道具の手入れだけはおこたりないものです。ましてやカメラマニアにとって、レンズにカビなどマニア道の風上にもおけない存在です。したがって私はカメラマニアではなく、単なるカメラに興味をもっている人なのです。念のため)。

 11月4日、天気予報は夜になって曇りから雨、普通ならば予定を取り止めるところであるが宿の手配がしてあったためやむなく出掛けた。家を出る段階は雲もなく高山に入ってからは雲が見え始めるが、それほど悲観する状態でもなかった。振り替え休日ということもあって人も多く、ロ−プウェイは1時間30分待ち。やむなく撮影場所を探し時間をついやす。紅葉はすぎ、もう山は晩秋であった。残念ながら目的の笠岳には雪もなく、いささかがっかりさせられたが、さいわいにも天気のほうはなんとか希望がもてそうな気配だった。
 しかし、日没後の星空は、うってかわって薄雲がはっているのだろうか。シャッタ−を切って10分もたたないうちに星が消えまた現れるという、自分の人生をかいまみるような星空で、そのうちにと淡い希望をもちながら我慢をかさね撮影を続けた。9時30分には予報どおり雲に覆われてしまった。再度挑戦を期し撮影を諦めた。

 翌日、高山の骨董屋をのぞいたところ、ある店で思いがけなくもウインドウで「大小板」に出会い、胸をときめかせながら店に入ってみせてもらった。
 大小板とは大の月、小の月を表示する暦の一種で、江戸時代の商家の必需品で、軒や店内に月の大小をしめし月末精算をうながした。当時の庶民はつけで買い物をしていたのである。
 なんとその店には大小板が3枚もあり、1枚は大きな6角のけやきの板で字にも風情があり値段は26万円、もう一枚は丸いけやきの板で15万円、そして、残りの一枚はこぶりながらも4万円のけやきの丸い板であった。あまりにも常識はずれの値段に誰ともなしに呪った。しかし、30年来の恋人である。この機会をのがしてなるものかと、一番安い4万円の大小板をねぎり粘って手に入れた。この時点で昨夜の天気はかすみとなって消えた。
 いま、この大小板は、Ha氏の紹介で手に入れた扇子に絵柄の入った大正の暦と一緒に、それこそ、カビのはえないように保管してある。ただし、そのへんのマニアとちがって人に見せびらかすようなことはしません。自称、暦マニアの私はケチなのです。
 ちなみに、昭和初期の双眼鏡も3台あり1台3万円、全体に曇りがでていたが景色ははっきりと判別できた。興味のある人は一報を…。

 話が長くなりましたが、思うに、今まで計画をたててうまくいった例がなく、やはり、私にとってはゆきあたりばったりが相応しく、写真撮影は今後絶対に予定をたてないと誓った。


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