今回は準備も怠りない。
リュックには肩パット、腰ベルトをつけ、しかもお菓子類はなし。前回のあの悪夢のような重さに比べたら、なんと軽いことか。ということで、まずは元気よく出発。栄で久々に参加のIwさんと合流し、Yhさんの待つ岩塚へと地下鉄に乗った。だが、失敗はやはりあった。なんと2人ともYhさんの電話番号を控えてこなかったのである。どうにかなるさと言いつつ、結局岩塚でYh家の電話番号を調べるべく、電話帳を操る羽目に…。なんとかYh家へ、しかも職場から帰宅途中のHaさんに送っていただくという余談つきのスタートであった。
車の中は女3人ということで、かしましいことこの上ない。(運転手のNiさん、本当に申し訳ありませんでした。) 私は内心、1年ぶりの登山に不安が募り、前回の苦しい経験ばかりが頭の中を行ったり来たり、決して消えない。なんてたって雨の中1人寂しく、同行者のKtさんにも見捨てられ(あまり遅いので全く仕方のないことですが)登山ガイドの倍の時間をかけ、最後には頂上よりYhさんの応援を求める始末。今回、本当に皆について行けるか、そればかりが頭にあった。
翌朝、いよいよ鏡平を目指して出発。前夜の車の中でのおしゃべりをそのまま引きずり、口も足も快調に動く。途中見る山の景色、特に木々の様子は、あの雨不足のためか、なんとなく赤茶気たような、埃っぽい感じである。いつもなら山の頂から集めた水を勢いよく流す秩父沢も、干からびた石がごろごろするだけ。のどの乾きを癒すものはない。記録的に続いた酷暑とも言える夏の残像がそこにあった。
目的地の鏡平でも事態は同じであった。水は例年の七分から八分と言った感じで、第一、映し出す山影が色鮮やかな緑でないため、なんとなく陰翳がはっきりしない。いったいこれで夜の撮影はどうなるのか、その上なんとなく空模様も怪しい。案の定、夜になると雲が徐々に湧き、心もとない星空である。これでもせっかく来たのだから、1枚も撮らずには帰りたくない!というせせこましい考えから、池まで行き、夕方に捜しておいたポイントで三脚を構えてみた。雲の切れ間を縫って1枚、2枚とシャッターを切る。その間、いくつかの流星が流れた。私にとって、山へ登っての星空眺めの醍醐味はこの流星である。宇宙という舞台で1つの星の生命が終わっていく瞬間、我々に何を語りかけ、輝き、そして消えていくのだろうか。
撮影した写真は、あいにくの曇り空と相変わらずの技術ということで、満足いく作品ではなかった。だが、都会の喧騒を忘れ、住んだ空気の中星空を眺めているひと時は、自分をいつまでも夢を語らせてくれる少女のような気持ちへと誘ってくれる。
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