西穂山行記

1992年12月11日〜13日

 土日利用で、撮影を兼ねて西穂に行ってきた。どちらかというと登山主体の行動だったので、カメラはGS645が久々の出動となった。折から、かなりの寒波が来ていたので、山は相当荒れているような感じだった。
 金曜日、仕事を終えてから荷物をパッキングし、ランクルにチェーンを積み込み、PM10時に出発。12日AM3時10分、新穂高の例の無料駐車場着。下呂より雪道走行だった。
 土曜日朝、雪はあがって薄日がさしていた。大変静かな朝だったので少々寝過ごしてしまって、ロープウェイの駅に着いたらもう9時を過ぎていた。観光客は大変少なく、山装備をした人が5人居た。ロープウェイは快適だった。途中雲が切れて真白に雪を着けた槍を見る事ができた。山頂駅に着くと、そこはガスの中。展望は全く無し。気温は−12°。観光客は一応外に出るのだが、すぐに寒い寒いと言って、中に戻って来る。登山者は3階で身支度をして、早々に西穂山荘を目指して出発。かなり積雪があった様だ。深い所では腰までのラッセル、平均すればひざ上のラッセル。先行の人がいたのでかなり楽が出来た。
 12時少し前に新装なった西穂山荘に到着した。2年前の冬に来た時とは天国と地獄の差だった。あの時は吹雪。今日はガスってはいるが雪は降っていないし、西穂山荘があるから。とりあえず小屋に入って宿泊の申し込みをし、昼食を食べて様子を見ることにした。小屋は本館ではなく冬季小屋側の営業ではあったが、中は白木の造りで、まるで穂高岳山荘の様な感じである。奥は2重ガラスで、陽が良く入ってくるので、冬季小屋の暗いイメージは無い。宿泊室は2階で4部屋あり、上高地1号、2号、3号、4号となっている。部屋は10畳程で、大変きれいであった。
 昼食を摂り、ちょっと休息して、小屋の人に話を聞くと、明日はまた天気が悪くなると言う。まだ時間がたっぷりあるので、上に行く事にした。一緒に来た人も上に行く様だ。サブザックを忘れてしまったので、スタッフバックに荷物を入れて行く事にした。これが今回の大失敗。ガスっているので、なんとカメラを小屋に置いていく事にした。
 小屋から独標まではほとんど夏道通し。ただし、風は非常に強く、そして冷たい。目出し帽は絶対必要。雪も降雪直後だったので、時々、腰までもぐりながらの前進である。小屋から2600m付近位まではほとんどラッセルの連続で、滑落の危険は少ない。その付近から風は一段と強くなり、雪も飛ばされて少なくなる。そして雪がクラストし、岩とミックス状態になる。アイゼンを着け、慎重に独標を目指す。それでも11月に吊尾根を縦走した時よりは、はるかに楽で安全あった。そして独標に着いたときには完全に晴れ上がってしまった。ガスっていたのは焼岳から西穂の稜線にかけてだけであった。前を見れば西穂からジャンダルムにかけての稜線、吊尾根がそびえ、西は笠ヶ岳、南東方向は南アルプスが、そして富士山までが見わたせてしまった。カメラを小屋に置いてきてしまった事が非常に悔やまれた。仕方ないので、その景色をしっかり目に焼きつけて復路を小屋へと戻った。小屋へ着くと、ガスの中であった。夜も同じであった。
 小屋の夕食は非常においしかった。メニューは焼肉、揚げギョーザ、かぼちゃの煮付け、その他。ごはんも、とてもおいしい。朝も豪華だった。布団も新しくて快適な夜が過ごせた。
 朝は、御来光の時だけガスが切れて小屋から展望が楽しめたが、30分程でガスの中に消えてしまった。笠ヶ岳の方に真っ黒な雲がかかり始めたので、慌てて下山開始。9時のロープウェイで新穂高に下山、今回の山行は終わってしまった。
 帰りは平湯から美並村まで雪道走行だった。今回も前回の穂高山行と同じく、雪山を楽しむだけの山行になってしまった。


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