初冬の信州撮影行

1995年11月11日〜12日

 今回の撮影旅行の始まりは、営業終了後の上高地へ車で入ることができるというHa氏の情報から始まった。その情報は上高地のマイカー規制情報に基づくものであった。これは楽をして上高地で写真を撮ることができる。すぐにその話にのってしまった。その甘い考えは後に現地に着いた時に、粉々に打ち砕かれてしまうことになる。

 11月11日AM10時、Yhさんの家に集合。天気は晴れ。天候も崩れる様子もない。これは良い写真が撮れるかもしれないと、期待しながらYhさん宅を後にした。東名阪を経由して、春日井インターから中央道にのり、一路信州をめざした。恵那峡SAで休憩。昼食を食べながら今後の行動を相談する。とりあえず岡谷で高速をおりて、高ボッチに行く事になった。
 国道20号で塩尻峠を越え、しばらくして高ボッチへの県道に入る。頂上まで狭い山道が続き、私のランクルには非常に辛い道中である。Ha氏のインプレッサは水を得た魚のようであった。なんとかアクセル全開で後をおいかけた。頂上付近の日陰には2、3日前に降った雪が残っていた。頂上に着いて車からおりるとさすがに寒かった。しばらく3人で歩きまわり、撮影ポイントを下見した。富士山が良く見えるのには驚いてしまった。残念なことに北アルプス方面は、ガスがかかりその姿を見ることはできなかった。夕方の写真はここで撮ることに決まった。
 少し時間があるのでHa氏の車で、山を下りて喫茶店にいくことになった。近くに喫茶店はなく、岡谷インターの近くまで行く事になった。あまり綺麗な店ではなかったけど、自家製ケーキはおいしかった。コーヒーもオーダーが入ってから、マスターが豆を挽いてサイホンで入れていた。大変いいティータイムであった。
 再び高ボッチの頂上に戻る。頂上に着いたときには、太陽もすっかり西に傾いていた。車を駐車場から撮影ポイントの近くに移動し、準備にかかる。準備が終わる頃には、西の空は赤く染まり金星が輝き始めていた。
 Ha、Yhの両氏は中判カメラを使用するが、私は面倒なのでニコンF4を使ってカメラ任せにすることにした。牧草地のなかに入り、木をシルエットにして金星の写真を撮る。Ha氏とYh氏は露出を色々考えて撮影しているが、F4は何も考えずに済んでしまう。構図を決めれば後はカメラがピントを合わせて、段階露出までしてくれる。あっという間に36枚どりフィルム2本撮ってしまった。1枚入魂からは程遠い撮影をしてしまった。当然のことであるが、出来上がった写真はろくなものが無かった。
 西の空の残照も消えて、空に星が輝き始めたので高ボッチを撤収する。Ha、Yh両氏は再びここにくることになるのだが、その時は全く思いもよらなかったのである。

 高ボッチを後にして一路上高地を目指す。途中で食事をしなければならないのだが、先行するHa氏は国道19号から広域農道を使って国道158号へショートカットしたため、食事のできる店が全然なかった。どうするのかなと思いながら後をついていくと、島々を過ぎたあたりのセブンイレブンで停車した。そこで食料を調達して現地で食べることになった。とりあえずカレーパンを齧りながら出発。
 158号に入ってから、“上高地通行止”とか“158号通行止”という案内がでていた。もしかしたらという思いが脳裏をかすめたが、Ha氏の情報を信じることにする。最悪の場合でも158号は坂巻までは通行できるはずだから、そこで車を捨てて、歩いて上高地まで行けばいいのだから。稲核で水タンクに水を補給する。このあたりから路面が白くなってきた。いくつものトンネルを抜け、沢渡に近づく頃には道路は真っ白になっていた。沢渡の集落を抜け、もう少しで山吹トンネルというところで悲劇はやってきた。なんと国道のゲートが閉まっていた。思いもよらないことだった。上高地どころか、坂巻へすら行けないなんて。
 仕方がないので茶嵐の駐車場に車を入れる。とりあえず2台のガスコンロを使って、湯を沸かす。生麺使用のラーメンなのでかなりの量の湯が必要なのである。腹が減っていたせいか、なかなか旨かった。食後のお茶を飲みながら今後の相談をする。空は満天の星空で、しかも天気も崩れるような気配もない。Ha、Yh両氏は、靴もザックも準備していなかったので、上高地は断念して高ボッチに戻ることになった。

 服をアルマディラの上下に着替え、登山靴をはき、サブザックに荷物を詰め込んで9時ごろ上高地へ向けて歩きだした。三脚はザックに入らないので、Ha氏に借りた三脚バックにつめて、手にぶら下げて持っていくことになった。
 坂巻からは何度も上高地へ歩いたが、沢渡からは初めての経験である。5キロぐらいの車道歩きの追加である。坂巻温泉までほぼ1時間で歩くことができた。宿泊の人はいないらしく、坂巻温泉は灯りが点いていなかった。坂巻トンネルを抜けると雪の量がふえた。かなりの降雪があったようだ。この行程の最大の難所“釜トンネル”も荷物が少ないためか10分ほどでクリアすることができた。トンネル内はかなり暖かく、歩いていると暑いほどである。トンネルの出口にはまだ扉がつけてなくて、かなり雪が降り込んでいた。トンネルの出口に作られたスノーシェルターは訪れるたびに伸びていく。
 シェルターを抜けると、そこは初冬というよりは厳冬期というのがふさわしい世界であった。早く穂高が見たいと思い、誰も歩いていない道を急ぐ。長い登りが終わり、カーブを曲がると、眼前に穂高連峰がその勇姿を現した。何度来ても感動してしまう。早く写真を撮らねばと思い大正池へ急ぐ。
 沢渡を出発して2時間30分、大正池に到着。この時は歩いて良かったとつくづく思った。しばらく何もせずに穂高の眺めを楽しんだ。寒くなってきたので防寒着を着込んで撮影を始める。
 いつも撮影する場所で撮ろうと思ったが、凄い雪で入っていく事ができない。仕方がないので道路に三脚を立てて撮影をする。かなり気温が下がっているらしく、大正池からガスが湧いたがかまわず撮影を続けた。こんなチャンスは滅多に無いので、久しぶりに頑張ってしまった。それでも、待っている時はじっとしていると寒いので歩き回っていた。大正池ホテルは新築中で灯りは点いていない。それでも自販機が動いていて暖かい飲み物を飲むことができた。これは非常に助かった。
 穂高連峰と北天の写真を6コマ撮り、大正池の上流部に移動した。立ち枯れの木と焼岳の写真を撮るためである。しかしここも雪が深くて、いい場所まで入ることができずに残念だった。行けるところまで行って三脚をセットした。カメラのファインダーが凍り付いてしまって、ここでの撮影は苦労した。ここで3コマ撮り終わって、時刻は3時30分ごろであった。夜明けの写真も撮りたいが、寒くて夜明けまで待てないので下山することにした。
 荷物を片付けて帰路を急ぐ。大正池の堰堤のところで穂高の姿を見納めし、下り坂を快調に飛ばす。ハイペースも釜トンまでであった。釜トンから先は夜の冷え込みによって、完全にアイスバーンと化していた。おかげで登りよりも疲れてしまった。
 駐車場に着いたときには、空が白み始めていた。駐車場には結構車がとまっていた。山支度をしている人もぼつぼついた。汗臭くなった服を着替えて、駐車場を後にする。奈川渡ダムのところで停車してコーヒーを飲む。山の方を見ると、朝日を浴びて山が燃えていた。山を早く下りてしまった事が少し悔やまれたが、完全装備でなかったからしょうがなかったと諦めることにする。しばらく走り、野麦峠スキー場の駐車場で仮眠をする。仮眠後、薮原から19号を経由して中津川から高速にのり家路に着いた。

 今回は予定が大幅に狂ってしまったが、まあ満足の行く結果が得られて良かった。


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