登り窯の3日間

1993年12月19日、20日、21日

 「よーし、次くべるぞ」
 夜の窯番の責任者のTさんの声が響き、窯の反対側にいるアシストのAさんがそれに応える。直径20センチ位の穴から薪を次々に投げこむと、たちまち窯の上部の排気孔から黒煙と共に炎が吹きあがった。窯の中に置いた温度センサの表示は1300℃を示していた。

 瀬戸に住んでいるからには、陶器と星を何とか組み合わせられないかと考えていたところ、ウルフ・ネットのメンバーのSaさんから、知りあいに陶芸作家の先生がいらっしゃるとのことを伺った。しかも近々、登り窯で焼く予定があるという。無理を承知でお願いしたところ、先生を紹介していただけるという幸運に恵まれた。芸術に携わっている人というからにはさぞや気難しいお方であろうと勝手に決めこみ、機嫌を損ねては大変と、なかばおっかなびっくりの状態でSaさんに連れられて先生の御自宅へ挨拶に伺った。予想に反して気さくな方で、好きなように撮ってかまわないと、快く承諾を頂くことができ、さらに窯で働いてみえるYさんやTさんを紹介していただくことができた。
 12月17日の金曜日あたりに火をいれる予定と教えて頂き準備をしていたが、当日になって窯の方に問い合わせをされたSaさんから「17日中には点火しないようだ」との連絡、さらに18日にも同じ連絡をもらい、天気が悪くなかっただけにやきもきさせられた。

 そして19日の日曜日、午後7時頃に火を入れるようだとSaさんから連絡を受け、それに合わせて出掛けようとしていると、たてつづけに実家やら友人からの電話がなり、出遅れてしまった。窯に着くとSaさんはすでにカメラをセットしており、丁度、神事をすませて登り窯に火をいれたところとのこと。最初のシャッターチャンスを逃してしまったのが悔まれたが、これから3日間にわたって火が燃やし続けられることを思うと期待は高まった。夕方の月と窯の組み合わせを数コマと、昇るオリオン座を数コマ撮ったところで空全体に雲が広がり、8時半頃でとりあえずその日の撮影を終わらせた。
 窯焚きの初日は、窯の中の温度を徐々に上げると同時に、残っている水分を完全に乾燥させるために、カメと呼ばれる一番下部のかまどのようなところに雑木の薪をくべ、おきを作って翌朝まで置いておくとのこと。早々に作業の方も中断とのことであった。

 翌20日、仕事もそこそこにして帰宅し、空の様子を観ると、終日曇の天気だった空に切れ間がのぞき、月がよくみえる。早速身仕度をして出掛けたが、窯に着く間のわずか15分の間に再び曇ってしまった。
 窯焚きの方はというと、カメに次々と雑木の薪を放り込んでいる。太さ10センチ、長さ50センチから120センチ程の薪を二抱えほど放り込んでも、15分もするとほとんど燃えてしまい、また次の薪を放り込んでいく。こうして薪を追加しながら、カメのなかにおきをいっぱいに蓄えていくのである。おきが十分に蓄えられるとカメの口が閉じられ、「一の間」に移る。それまでは雑木の薪だったのが、アカマツの薪に換えられる。ほとんど灰が残らないため、長時間の窯焚きに都合が良いのだそうだ。
 窯の中を覗かせてもらったり、窯の周辺の写真を数駒撮ったが、このころから降り出した雨は強くなる一方で、晴れるどころか降り止む気配すら見られない。この日の撮影は、結局星を一駒も撮らないままにあきらめた。

 そして性懲りもなく三日目。昼間はまあまあの天候。今日こそはと意気込んで出かけたがまたもや曇りの空模様。薪を運ぶ手伝いをしながら雑談。朝日新聞写真部の結構偉い人もやってきた。窯の上で常時温められているぜんざいを戴きながら、陶芸談義も始まった。そうこうしていると、しんしんと冷え込みがきつくなってきて、とうとう雪が降り出してしまった。この3日間で、晴れ・曇り・雨・雪と、この季節の天候がすべてやってきたわけである。
 こうなると、もう星の写真はすっかりあきらめて窯焚きの方ばかり手伝っていたのであるが、二時過ぎになって雪が小やみになり、ふと空を見上げるとなんと星が覗いているではないか。あわててカメラを引っぱり出しセッティングをすると、窯の上の方に獅子が駈け登っていくところ。30秒から1分の露出で5、6駒撮った。が、しかし晴れ間もここまで。再び雲が空全面を覆い、再び雪。3時すぎまでねばった後、結局帰宅したが、朝まで雲が切れることはなかったようである。

 翌朝、雪が止み、晴れ間が見えてきた7時過ぎに出掛けると、「引出し黒」の抹茶茶碗を窯から出し、薪を燃やすのを終えたところだった。天候には恵まれたとは言えなかったが、気分は上々というところ。たった今焼き上がったばかりの茶碗で抹茶をご馳走になった。窯番のTさんやAさんのほっとした笑顔が印象的だった。


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