9月14日から8日間、渦中のウズベキスタンとカザフスタン、そして中国(新橿ウイグル自治区ウルムチ、敦煌、北京)に行ってきました。
ウズベキは、アフガニスタンと140q国境が接しており、貿易センタービルが破壊された3日後のためにキャンセルが出て迷ったのですが、こんなところへはこの機会を外したら2度と行けないと思い、思いきって行ってきました。
●タシケントからサマルカンドへ
貿易センタービル爆破のテロ3日後の出発で心配だったが、無事、第一目的地タシケントに到着。わずかの仮眠で、翌朝早くサマルカンドへ向け、飛行場にむかう。細い月と金星が寄りそうどこかの国旗を見るような情景がすばらしい。
飛び立つとすぐに、大地も山々も赤茶けた砂に覆われた砂漠が延々と続く。2時間ほどで、突然青い湖と川が見え、すすけた緑(=乾燥しているため)が見え、45万人の町が見えた。
サマルカンドは、イスタンブールに続くシルクロードとインド(三蔵法師の仏教伝来のコース、途中がバーミヤン遺跡)への分岐の町。13世紀、蒙古軍に抵抗したため、街全てが焼き尽くされ壊滅した。その後、チャガタイカーン国として再建された街が今の原型で、いくつかの国に名を変え、14〜15世紀にはチムール帝国の首都として栄えた。
街の中央にはレギスタン広場があり、シェルドル・メドレセのモスク(イスラムの修道院)が有る。少し北東に行くとバザールがあり、にぎやかだ。危険とは感じなかったが、カメラを持っていると子供や乞食が寄ってくる。不思議とビデオには行かない。バザールにはいろいろなものが売られている。中でも果物が安くて美味しい。ぶどうやメロン(富山の黒部スイカのような大きさ)は、とても美味しかった。
現地のガイドにタリバンのことを尋ねたら、「彼らはイスラムの教えを履き違え、女性を蔑視し、人間として見ていない。イスラムの敵です」と厳しい答えが返ってきた。彼女は、顔どころか胸も大きく開いた服を着用し、堂々と仕事をしている。アフガンが早くウズベクのようになればと願うばかりだった。
ちなみに彼女のご主人は小児科医者で、夫人は彼女だけとの事。4人認められているが、そんな人はほとんどいなくて、一夫一婦制が浸透している。(ただし離婚率が高いとの事)
ホテルは4☆マークであったが、バスの蛇口をひねると、赤い温いお湯が出てきた。
●再びタシケントへ
翌日はバスでタシケントに向かう。道路は舗装してあるが、穴だらけでひどい。途中、州境に検問所があり、銃を持った者が全ての車を止め検問しているが、我々外国人は直ぐに通してくれた。6時間ほどのバスの車窓から見える風景は、禿げた大地の砂漠と、岩が露出し大きく褶曲しているのが見える。
再びタシケントに到着。街の中を散策。第2次世界大戦の際ロシアに強制収容された日本人が立てた劇場があったが、数年前の大地震の際もびくともせず、日本人の技術の高さに現地人は驚嘆したという。
翌日、中国に向かうためにカザフスタンに寄る。(直接便がない)
週に2便しかない飛行機を待つため、アロマティの街を見学する。天山山脈に降った雨や雪は、砂漠の地下を流れ、ここアロマテイの南で涌き出ている。街には川が流れ、緑も豊かである。
この国は、海底にしかない貴重金属のレアメタルが唯一陸上で取れるため、豊かで、外国産の高級車が沢山走っている。日本企業の社名も沢山有り、白系ロシア人と真っ黒な髪をしたアフガニスタン人、日本人のルーツである蒙古民族の子孫が暮らす国で、日本人が沢山いるようであるが、実はみな現地人である。
空港は非常に厳しく、麻薬捜査犬が嗅ぎまわっており、果物の匂いにひやひやした。(ウズベクでは麻薬を持っていたら即日死刑との事。カザフは不明)
一緒のツアーの一人が検問に引っかかり、30分以上取調べを受けていた。何でも、ウズベクで買ったチョウザメのキャビアを10個ほど持っていたのがX線カメラに手榴弾のように映り、全部の持ち物検査を受け、挙句の果てに50US弗の罰金を払い、やっとの思いで検問を通過した。これを聞いたリーダーの農学博士が血相を変えて検問所に飛んでいき、文句をまくし立てたら、50US弗は返してくれた。(偉いもんだ。何でも引き下がっていてはいけない)
飛行機に乗ろうとしたら、天山山脈が雪に輝きあまりにもきれいなため、そばにいた軍人に写真を撮らせてくれと頼み、撮影した。(この飛行場は軍の物で、撮影禁止。でもOKし、横を向いていてくれた。教訓=何でも頼んでみるものだア!)
飛行機に乗り、4時間ほどで中国新彊ウイグル自治区の首都ウルムチに到着した。
●新彊ウイグル自治区
中国の西の端に有る新彊ウイグル自治区首都ウルムチ(=烏魯木斉)は、人口120万の大都市。20数階の高層ビルが立ち並び、高速道路が出来ている。これが中国奥地の?と目を疑いたくなるような都市であった。シルクロードの天山北路の都市で、古くから栄えた。
その日は、少し早めの食事で休み、翌日はバスで天池に向かう。
高速道路で少し走ると、タクラマカン砂漠が見えてきた。砂漠の中に、小さな丸い砂山があちらこちらにある。聞いてみると、遊牧民の墓だという。砂漠で何もないはずの乾燥した大地に、良く見ると小さな緑の草が生えている。ラクダ草で、刺があるが、そのわずな草を求めて羊や山羊が動いている。そして人間も。カザフ人の遊牧民で、このあたりには漢民族、蒙古人、ウズベク人の4人種が住むと言う。
天池に向かう途中で遊牧民のパオがあり、交渉の結果、2時間後までに山羊1頭を料理してもらうことになった。(料金は日本円で8,000円=540元。現地ではかなりの高収入である)
天池は天山山脈の入り口で、万年雪を抱いたボグダ峰より流れる水を満々と湛えたとても美しい湖で、孫悟空の話に出てくるお化けの場所だそうだ。
この頃から、何やら中国の毒気に犯されたのか、お腹の具合が少しずつ悪くなってきたが、空腹にとりあえず遊牧民のパオに寄り、昼食を頂く事とする。先ほどまで草を食んでいた山羊の頭と皮とお尻の脂肪の塊が、ぽつねんとおいてある。
パオの中で車座になり、出される料理を頂く。山羊の肉のぶつ切りを塩茹でしたもの。日本でも馴染みのシシカバブー。そして馬乳酒、肉と野菜のごった煮等など。それとチャーハン。とても食べきれない。(山羊のお尻の脂肪は遊牧民の大好物で、ご馳走になるが、現地人以外が食べると脂が強すぎて腹痛を起こすとの事)
昼食を済ませ、ウルムチに帰る。(この頃より腹具合がだんだん厳しくなる)
絨毯工場を見学してからバザールを楽しむ行程であったが、絨毯工場でトイレに駆けこむ。紙がない。幸いティッシュを持っていたが、トイレが臭い。使用済みの紙が、バケツに放り投げてある!! 下水に流してはいけないのか?
絨毯工場で見学しながら、品物を買いながら、またまたトイレに駆け込む。それが2度3度。絨毯工場を後にバザールに行くが、付き合いきれず、ギブアップでホテルに直行。10〜5分おきにトイレに駆け込む。(ごめんなさい。でも真実を書きたくて)
ベットの上でたらたら考えるに、ウズベキの国で、歯を磨くときに水道の蛇口をひねり、その水で口をゆすいだのがいけなかったのか? そう言えば、洗面所の隅にミネラルウオーターがおいてあって、NOT ICE WATEAとか何とか書いてあったのを思い出した。水あたりになったのだ。元来胃腸は丈夫なほうではないので、てきめんだった。
その夜は、皆で街のレストランへ出かけることになっていたので、無理をして皆と出かけた。老酒を注ぎ、乾杯と叫んだ途端にライトが突然切れ、場内真っ暗。騒いでいるのは日本人だけで、中国人は慣れているみたいで、5分後ぐらいに灯りが付くと拍手をしていた。国民性の違いを感じたが、お腹は益々悪くなる。
何も手をつけず、皆に断ってタクシーでホテルに帰る。皆が食事を終えて帰ってきて、「おなかすいたでしょう」と、日本から持って来たおかゆを頂いた。このときぐらい美味しいお粥を味わったのはなかった。
●敦煌
翌日は、前から是非行きたかった敦煌、莫高窟。ウルムチから2時間ちょっとのフライト。敦煌国際空港に降り立つ。
トイレに直行。まだ無理のよう。で、困った。!!! トイレのドアがない。大をしている人が丸見え。それに下は汚い。背に腹は変えられない。昨日から持参の、日本から持ってきたトイレットペーパーを持って事無きを得た。(その後、どこへいくにもトイレットペーパーを持参) でも中国人はたくましく、トイレの大をしながら大声で話をしている。ドアはなく回りからはお尻が丸見え。これでは日本のご婦人方は敬遠することでしょう!。
何はともあれ大飯店につく。(3☆マークで日本料理店が有る) 空腹で、とりあえずそばを頼む。(日本のとは全然違う。<汁がまるでダメ>) でも腹痛の状態では一番のご馳走であった。またトイレに行き、少し楽になった。
これから、井上靖の映画「敦煌」のセットが残る施設の見学と、それからお目当ての莫高窟。そして鳴砂山の見学。莫高窟は長年の夢で、是非見学したいと思っていたところだ。
敦煌のセット跡地は、広大なゴビ砂漠の地に建てられた当時の建物で、本来はラストシーンの敦煌炎上で全てを燃やす設定であったが、地元の反対で半分だけ燃やし、残りをそのまま残されたものだとか。セットとは思えない。当時を忠実に再現して有るという。
莫高窟は砂漠の大画廊と称せられる洞窟で、4世紀に起源し、1000年に及ぶ累々と受け継がれた洞窟壁画で、492窟が1Kmの断崖に築かれている。カメラは持ちこめず取り上げられ、ガイドの話を聞く。
とにかくすばらしい。1000年に渡り営々と築かれた窟は、保存修復してあるとは言え、原色で細かく描かれた仏像や人物、そして構図。それが所狭しと描かれていた。
窟をつなぐ回廊は、近年になって階段や通路が縦横に整備され、古代の壁面に似せた工法で仕上げられているので、よく見なければ全てが昔のままのように倒錯する。窟内は暗く、わずかに光る懐中電灯の明かりに照らされた壁面を、眼を開き、必死でガイドのライトの跡を追う。
皆で記念写真を撮り、莫高窟を後にする。
ゴビ砂漠の入り口、鳴砂山。観光地化されてはいるが当に砂漠。風で作られた砂漠の曲線が何と美しい。駱駝の隊商の様に観光客を乗せ、隊列を組んで歩いていく。
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