山は楽し…

1993年8月24日〜29日

 今は多様化の時代であり、個性を重んじる時代であるそうな。「ランドセルは黒、赤」なんていうのは古い。紺、青、ピンク…、なんと紫まである時代である。
 同様に、山のファッションも人それぞれ実にカラフルな時代になった。ズボン(この呼び方は死語である)を例に取っても、昔ながらのニッカー、体育会系のジャージ、軽快な短パン、最先端の登山用パンツ…と種々雑多。多少の奇抜さでは驚かなくなっていたが、これは極めつけと言うのに遭遇したのが、93年の夏の終わりのことだった。

 一月ほど前は登山道入り口から雪道歩きに泣かされたというのに、今回はどこにも雪は見られない。急な坂も何のその、鼻歌も出ようというほど余裕ある山歩きとなった。
 今回は新穂高から入山し、鏡平〜双六〜三俣〜水晶と、裏銀座一部縦走コース。水晶からUターンして新穂高へと戻る際、天気の良いこともあり、鷲羽・三俣蓮華・双六の稜線コースを行く。思ったよりアップダウンはあるがパノラマが広がり、やはり稜線歩きは気持ちがよいものだ。
 ようやく辿り着いた最後の宿泊地、双六小屋の前で、整えていた息が一瞬止まってしまうような光景が目に飛び込んで来た。下の方から何やら異様な二人連れが登ってくるではないか。
 二人の出で立ちはと言うと、いわゆる股旅姿。登山靴の代わりに藁草履、帽子の代わりに三度笠、ウェアはもちろん着物。腰には刀が差してある。どこにもザックらしき物はない。時代劇の撮影でもあるのだろうか? 峠越えのシーンとか…。
 私同様金縛りにあっていた人々が、ようやく動き始めた。さすがオバタリアンパワーと呼ばれる世代は違う。すぐに駆け寄り声を掛けたり、一緒にカメラに収まって貰ったりしている。なかなかの人気者だ。
 その場では近付けなかったが、偶然部屋が同じとなり、後からいろいろとお話を聞くことができた。何と双六のオーナーの幼馴染みだそうな。小屋に近付くと着替え、ザックは袋に隠すそうだ。そう言えば何やら風呂敷のような荷物を持ってみえた。皆の驚く顔がおもしろくて病み付きになっているそうで、昨年は槍に登ったとの事だった。何ともはやご苦労様!
 前回もそうだったが、裏銀座というのは山慣れた登山者が多く、いたるところで会話に花が咲く。景色も山深く緑豊かで美しいところだ。可憐な高山植物、緑の絨毯を思わせる山また山。日本は山国であることを改めて認識する。険しい山々ではないからこそ、股旅のパフォーマンスを素直に受け入れ、見知らぬ人とも一緒に笑える心のゆとりを誰もが持てるのかもしれない。
 今年もまた裏銀座に出掛けてみようと思う。あの愉快なおじさんたちに、ひょっとすると会えるかもしれないと期待しながら…。


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