一色の磯にて

1994年11月4日、1995年1月28日、3月27日

 海が見たいと思った。荒れ狂う波、どんより曇った空。
 時を忘れてぼんやり佇み、灰色の海を見つめていたい…

 なんてロマンチックな書き出しを思い浮かべて、ワープロのキーを叩くと…、
 「膿がみたい」
 な、な、なんなんだ!これは〜。
 オンボロワープロめ。私のイメージが壊れるじゃない。何かやる気なくすなあ、もー。
 とにかく、もう一度、始めからやり直し。

 海が見たいと思った。荒れ狂う波、どんより曇った空。
 時を忘れてぼんやり佇み、灰色の海を見つめていたい…

 いかん、いかん!
 曇っていては、星の写真は撮れないではないか。
 どうも今回は(も?)調子が悪い。(これ以上くだらない事を書くと、どこからかカミナリが落ちそうなので)こんどこそ、気合いを入れて頑張ろう。

 山が好き。爽やかな風、おいしい空気。それに対して海は嫌いだ。べとつく潮風、ゴミだらけの浜辺。当然、旅の行き先はほとんど山・高原方面となる。その結果、撮った写真は「山」の山。(おっと、へたなダジャレで失礼。)
 いくら山が好きと言っても、山の写真だらけになると、ちょっと考えてしまう。そんな時、ふっと以前撮影した伊豆の海を思い出した。海と言っても、冬は潮風も冷たく心地よい。
 しかし、伊豆は幾らなんでも遠すぎる。地図を取り出して、近郊でそれなりの写真が撮れそうな所はないかと探してみる。できることなら、岩場のある海岸線がよい。と、渥美半島の太平洋側に、「一色の磯」という地名を見付けた。
 実は、渥美半島というと嫌な思い出がある。昔、とても風の強い日に、半島の先っぽの伊良湖岬で三脚を倒し、カメラを壊した事があるのだ。その日以来、「伊良湖」と聞くと拒否反応を起こしていた。絶対二度と行くものか!
 それなのに現金な物である。「磯」という字に心がそそられた。思い立ったら直ぐに行ってみたい。と言っても星の写真ではお天気でないと意味がない。夕方、空を仰ぐ日々が続いた。

 待ちに待った晴れの夜11月4日。ところがあいにくこの日は、着いた頃には星たちは雲の向こうという状態。やはり、一度で写真が撮れるほど甘いものではないと言うことなのか。しかし、この地は岩がごろごろとしていて、月がなくてもシルエットが面白そうだ。ともかく今度の参考にと、カメラを取り出し撮影のポイントを探す。恐る恐る岩に登り、三脚を立てて、カメラをセットしようとしたその時、「あっ」。バランスを崩し、カメラが手から滑り落ちた。泣くに泣けない一瞬。やはりこの地は相性が悪いようだ。それにしても、写真も撮れず、壊れたカメラを片手にスゴスゴと家路につくのは、何と侘しいことか。
 そうしたアクシデントにも負けず、再度トライすることを決意する。ただし、次からは出掛けようとする際の天気だけでなく、天気予報も必ず判断材料にすることにした。しかし、なかなか出掛けようと言うだけの条件は、揃わなかった。

 3か月ほど経った1月28日。
 この日は、明け方の月齢27の細い月に、金星と木星が寄り添っているという特別な日だった。その上、空は快晴、予報もよしと言うことで、頼んでおいた「渥美行」を決行。夜中の12時に出発した。かくして、渋々の父とルンルン気分の母、やる気満々の私と、一家あげての夜のドライブとなった。
 見える、見える。どこまで行っても、車の窓からは星たちが瞬いている。トランクの中には、カメラ2台とこの日のために用意した新しい三脚が出番を待っている。
 「一色の磯」には、人っ子ひとりいなかった。思ったより早く着き、慎重にカメラをセットし、月を待つ。
 水平線を遠く漁り火が、数多く行き来している。漁師の人達は何と早起きなんだろう。空にはさそり座が大きなS字を描いている。冬の海の大気は澄み、山で見るような美しい星たちが、今にも手に掴めそうなほど近くで瞬いている。明りのない海はずいぶんと暗く、波に洗われているはずの岩がよく見えない。
 圧倒されるほどの星たちに見とれていると、漁り火のほんの少し上に、何やら赤い明りが目についた。あんな対岸に明りは在っただろうか。しばし見ている間に、赤い光はみるみると細い月の姿を現してきた。大急ぎでカメラのレンズをそちらに向ける。まずは6×6、一時間露出を試みよう。手際良く…とはいかないのは不器用なため。もたもたする自分にイライラしながら、次に6×4.5を準備する。新しい三脚は実に扱い易い。私にしてはスムーズにセット完了。こちらは30分程に挑戦してみよう。どちらもシャッターを押してしまえば、時間に余裕があり、刻々と昇って来る赤い月をじっくりと観賞することができた。
 月は昇るにつれ、赤から黄色へと変化していく。海には金色の道が続き、どんどんとこちらへ近付いてくる。岩に砕け散る波は、きらきらと光り輝く。
 そして、月を追うように金星も顔を覗かせた。金星とは、こんなにも明るい星だったのだろうか。強烈な光を夜空に放っている。海には、月とそして金星の二つの金色の影が長く伸びていた。この二つの影がフィルムに写るだろうか。わくわくする思いで、時を過ごす。こんな素晴らしい光景を目にしたことはなかった。
 撮り始めて一時間も経った頃から、空がほんのり赤く色付き始めた。こうなると露出時間がさらに難しくなる。二台のカメラをうまく使い分けたいのだが、かえってパニックに陥って何ともならなくなってしまった。「一度でいい写真を撮ろうなんて考えるのが、おこがましいのだ。」と自分に言い聞かせ、途中からは、朝焼けに浮かぶ細く美しい月をじっくりと楽しむことにする。朝というのはこんなに清々しいものなのかと、すっかり明るくなった海を見つめていると何か暖かいものと、同時に心地好い疲れを感じた…。

 そして…、3月27日。
 「1月の写真の撮り直しをするために、伊良湖に行こう。」と某氏を誘い出掛ける。一色の磯と言ってもローカルなので、一色の磯イコール伊良湖のつもりだった。写真の撮り直しと言えばよもや“日出の石門”なんて勘違いされないと思っていた。が、これがとんでもない大間違い。車が現地に近付くにつれ、お互いの考えのズレが判明してきた。某氏は「一色の磯なんてやなこった。」と宣う。その上、「途中で下ろして帰りに迎えに来ようか。」とまで言い出す始末。冗談じゃない! か弱き(元)乙女を放り出すなんて…。むくつけき輩に襲われたらどうするの! なんと非常識な。ここで折れては絶対にいけないと、私も必死である。煽て、宥め、ヨイショをし、何とか撮影地を「一色の磯」とする。しかし、某氏は「ここでは、撮影意欲がわかない。どこがいいんだろう、趣味を疑うなあ〜。」などと言いたい放題の後、車でふて寝。
 写真とは正直なものである。その時の精神状態を写すらしい。いたく心を傷つけられたその時の写真は、言うまでもなく、もう一度撮り直しの必要なものとなった。


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