渥美半島

1997年3月7日〜9日

 前略
 みな様、お変わりありませんか。私は元気…と言いたいところですが、実は、2月・3月と、すっきりしない日々が続いておりました。
 しばし、以下の症状に悩まされていたのです。

 症状:その1.倦怠感…撮影に出かけても車の中で休憩。
     その2.吐き気…カメラ、フィルムを見るともう大変。
     その3.対星恐怖…夜が怖い、星が怖い。

 世間がHB彗星だ!日食だ!と大騒ぎしている時ですら、ひたすら布団に潜り込んでいたのです。それが今では、ほら、この通り、ピンピン。
 立ち直りのきっかけは、友人のこんな一言です。
 「彗星見てみたいなあ」
 さあ、大変。サービス精神旺盛な私(?)としては、聞き流すわけにはいきません。いろいろ検討した結果、HB彗星と日食を楽しむハレークラブの研修に参加、プラス28日月観望という修学旅行並の超ハードスケジュールを立てたのでありました。

 3月7日。
 夜空を見上げると、幾筋もの雲。何となく安堵感…。やったー、今夜は出かけないですむぞ!と喜んで布団を敷いたのも束の間。ご一緒する予定のハレークラブのHi氏は、とてもやる気満々。行ってみなくてはわからないとの結論に達したのでした。
 確かに、行ってみなくてはわからないものです。一色の磯に着いた時には全天に広がっていた雲が、朝を迎えるほどに薄くなっていくではありませんか。彗星もちらほら。友人の手前、格好つけないわけにもいかず、(車の中に居たら)と囁く声を振り切り、一応カメラをセット。しかし、月を狙おうと思うものの、東の低い雲は、ベタリと厚く張り付いたままで、一向に消えようとはしません。空は刻々と明るくなっていきます。もう駄目かな、と思った時、雲の上に出た月がうっすらその姿を現しました。写真を撮るにはもう遅く、朝の光に溶けていく月を見送るだけとなりました。それにしても、朝とは本当に清々しいものです。

 3月8日。
 さてさて、朝を迎えたことだし、ここで仮眠でもするかな…、なんて甘いのです。結局、一日中、観望地捜しに駆けずり回ることとなりました。どうやら、超人はウルフ・ネットのNa氏だけではないようです。
 その後のスケジュールは、夕方の彗星の観望、ミーティング、そして寝る間もそこそこに、明け方の彗星観望。それを当然のようにこなしていくハレークラブの面々。ハレークラブとは、熟年のメンバーがコーヒー片手にそこそこ観望して、後はゆったりと会話を楽しむのだろうなんて思い込んでいたのは、大きな間違いでありました。にぎやか、行動的、パワフルなどなど、圧倒されることばかり…。さすが、日本の経済成長を支えてきた年代です。

 3月9日。
 結局満足な睡眠を取ることができないまま、部分日食を迎えることとなりました。ぼーとした頭で、コーヒー片手に座り込んでいる私とは対称的に、朝からみなさんははりきっていらっしゃる。望遠鏡を囲んで、欠け初めから終わりまで、賑やかな会話が飛び交っています。私が参加したのはもちろん最大食の頃だけでありました。

 それにしても、今回の旅行は運がよいと言うか、見事に晴れたものです。初めて星見をした友人は、明け方の細い月からHB彗星、そして部分日食とフルに堪能することができたわけですが、その感想としては、
 「ハレークラブの方々のパワーが凄い!」
という、星とは無縁のものでありました。
 本当にそうです。今回、やはり撮影にはあまり食指は動きませんでしたが、熟年パワーに圧倒されどうしでした。その刺激が、どうやら病気のカンフル剤となったようです。撮影した写真はつまらないものでしたが、落ち込むことなく、次回はこんな風に撮影してみようという意欲が、ほんの少しでてきたようです。
 もっとも、もう少しいい写真が撮れると、もっとやる気がでるんだけどな…。


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