蝶ガ岳単独登山顛末記

1992年9月18日〜20日

はじめに

 蝶ガ岳は晴れた、しかし穂高連峰は雲に覆われていた。これを運というのだろうか。しかし、それは全てを相殺するときっとゼロになる。たぶん皆さんもそう思われるに違いない。この記録を読んだ後ではきっと…。

第1章 プロローグ 〜 名古屋→穂高

 PM.8:00。仕事を終え、車のエンジンをかけたとき、雨粒がポツリ・ポツリとフロントガラスを濡らし始めた。ラジオからの天気予報は前線の通過を告げている。徐々に強くなる雨の中、国道19号線を北上していった。
 今回は一人旅のため、普段は中津川まで高速を利用しているところを、できるだけ経費を節約したいのと、「下」を走っても時間は大して変わらないというHa氏の助言もあり、松本まで「下」を使うことになった。
 道路の状況は、混雑の予想された名古屋市内から春日井市内の市街地の区間が、勝川橋の複線化が完了したおかげで目立った渋滞もなく順調に通過。恵那市から中津川の区間も、日中走ったことのある人は御存じだろうが、流れの悪い所にもかかわらず案外簡単に通り過ぎることができた。特に木曽福島を過ぎてからというものは、単に前のトラックの後について走っていただけなのに高速と変わりがなかった。名古屋を出発して僅か3時間半で松本についたので、こんなに近いところとは思わなかった。
 しかし、やがて迷路事件に遭遇し、大幅にタイム・ロスすることになる。

第2章 ランズ・フォロー 〜 穂高→三俣駐車場

 今回の山行は「槍ガ岳を東側から見たい」という単純な理由から決まった。実際、間近に見るのなら常念岳の方がベストなのだが、手前の西岳が山肌を隠してしまうので、結局、穂高方面も一緒に写せる蝶ケ岳を選んだ。
 表銀座を選んだのには、もう一つの理由があった。それは、今回は単独行動なので、もしものときの為に、人通りの多いコースにしたかったのだ。
 ここへのアプローチは、(1)上高地から入る、(2)穂高町から入る、(3)表銀座を縦走する、のルートがあるが、費用のかからない(2)を選択した。
 穂高町から須成渡ダムまでは舗装路で、ダム湖を過ぎた辺りでダートへと変わった。本沢橋を渡り、しばらく走ると三俣駐車場へ行く分岐点Aに出る。地図で確認すると直進路は近道、Uターンする方は遠回りとなっていたので、当然前者を選択した。これが事件の発端だった。

 少し走ったところで更に分かれ道(分岐点B)となっている。ここは地図に載っていないのだ。とりあえず、よく整備されていると思われる左の道に入ったのだが、その先は防砂ダムの完成を記念した公園みたいなところで行き止まりとなってしまった。雨はいっそう強くなるばかりだった。
 このままでは林道で迷子になる危険性があるので、橋まで引き返して欄干に「本沢橋」と書かれているのを見て、別の沢に迷いこんでいないことを確かめた上で、再び分岐点Aから分岐点Bまで行って、残った右の道に入った。
 こちら側は道添に電柱が続いていたし、先程間違った道でないことを確認していたので、必ず駐車場まで到達できると信じて疑っていなかったから、両側から伸びた雑草で道路が覆い隠されていて若干不安があったけど、そのまま行くことにした。
 ところが、殆ど進まないうちに雑草はどんどん道幅を狭めてくる。路面はランクルでもない限り絶対走れないような状況になる。とうとう進めなくなった。ここで断念し、200mぐらいの間をバックで下がる羽目になった。
 あきらめて、分岐点Aから遠回りコースで分岐点Cまで行くことにした。そうしたら、今まで散々迷っていた時間の4分の1ぐらいで呆気なくついてしまった。このときは本当に疲れがどっと出た。
 分岐点Cから駐車場までの区間は、前半が整備の行き届いた道路で、途中に舗装したばかりの綺麗な区間。後半は再びダートで、駐車場手前の数百mは、先程の不安が頭をかすめたぐらい荒れていたが、なんとか辿り着く。0時過ぎにはついている予定が1時間ほど余分にかかってしまったのだった。
 ところで、冷たい雨のせいで窓がよく曇った。少しくらい窓を開けた程度では全然効果がない。しかたなくエアコンをつけ、しかもほとんど1速ギヤで道でないようなところを走っていたのだから、どうやらプラグが被ったらしく、エンジンは一晩中調子が悪かった。

第3章 アプローチ 〜 三俣駐車場→水場

 朝6時半起床、依然として雨は降りつづいていたが、天気予報によると日中は回復するとのことだった。7時頃には小雨になる。昨晩はたった3台だった駐車場の車が10台ぐらいに増えていた。大半の人は既に常念岳、蝶ガ岳へそれぞれ入山していた。そして、7時半、駐車場をあとにした。
 後で知った事だが、もうこの時間だと入山する人のラスト・グループに属すると思っていたが、小屋の人の話では、三俣からの入山者は、昼頃まであるということだった。
 尾根の取り付きまでの最初の40分ぐらいは本沢の沢筋をたどる。雨は出発してすぐに上がってしまったので増水の心配はない。比較的ゆるやかな道を標高差の目安となる前常念岳を眼前にして、朝靄のなかを光りが斜めに差し込み、まるで映画のワンシーンのような状況の中を歩いていく。本沢から分け入って蝶沢に添った尾根筋に入るといよいよ登り始めるが、ここも40分くらいで登り切ってしまい、倒木のある丁度よい休憩場所に着く。ここからしばらくルートは湿地帯を横切りることになる。水たまりを避けながら通過する。
 そこを過ぎ30分くらい登ると、やがて最後の水場(実際に水を得るにはルートをはずれて5分程涸れ沢を登らないといけない)にたどりつくが、ここで少し長めの休憩をとる。
 ところで、ここから稜線までが標高差450m。ここまで800mは登ってきたがコースタイムより若干ペースがはやい。ここから見える前常念岳の頂きは、そんなに高く見えなかったので、この分なら1時間半くらいで着けると思っていた。一緒に休憩していた人の話では、ここからが急登とのことだった。実際、地図の上でも等高線の間隔がかなり狭い。

第4章 アタック 〜 水場→蝶ガ岳ヒュッテ

 水場からは、斜面をそのまま上がるようなジグザグの急登の連続。今まで温存しておいた体力をすべて注ぎ込み、それでも15分置きに小休止を入れながら、はしごを登り、岩をつかみ、一歩一歩を踏みしめながら登る。
 さっきは、あんなに前常念岳の山頂が近かったのに全然高さが変わらない気がする。ひらすら登り続ける。
 空が広くなりかけた頃、道端にベンチがあったので、又々ここで休憩する。ここに来てようやく、目線の高さが雲の上に突き出た前常念の頂きに並ぼうとしていた。なんとなく、ほっとした。
 そこから15分程登ると、急に視界がひらけ大滝山方面との分岐点に到達する。ここからザレ場をさらに15分、まもなく稜線だ。
 三股からのルートは北アルプスの一番東側から登るので前常念岳・常念岳以外の山は見えない。稜線に出た途端、いままでの苦労が報くわれ、その上おつりがくるぐらいだった。蝶ガ岳ヒュッテ越しに穂高連峰、槍ガ岳がそびえていた。振り返れば眼下に穂高の町並み。ほんとうに来てよかったと思った。
 コースタイムで着くことができたので、とりあえずヒュッテで昼食ということにしたが、今日はラーメンしか出来ないらしく、それを注文したら、「すぐに、お湯をいれますか?」と尋ねるので、「変なことを聞くのだなあ」と思っていたところ、ナント出て来たのは“カップ・ラーメン”だった。

第5章 グット・アフタヌーン 〜 蝶ガ岳ヒュッテとその周辺

 まあ、気を取り直して、辺りを散策。ここでは既に樹林帯を越えているので、せいぜいハイマツ程度しかなく、視界を遮るものといえば雲ぐらいしかない。ヒュッテ横の展望指示板のあたりで、乗鞍岳・焼岳・前穂高岳・奥穂高岳・涸沢岳・涸沢・屏風の頭・梓川・北穂高岳・大キレット・南岳・中岳・大喰岳・槍ガ岳・赤岩岳・常念岳そして蝶ガ岳の大パノラマを一通り満喫してから、フィルムに収めた。
 少し残念なことといえば、この日は前線が通過した後なので風がつよく、穂高連峰の稜線に雲がかなり残っていたことだった。蝶ガ岳のピークも遠くはないが、さっき消耗しきった体力を回復すべくヒュッテに引き返すことにした。
 宿泊者も天候の影響からか比較的少ないようで、新築直後みたいに綺麗な部屋の中を一人一畳のリッチな気分でくつろぐことができた。
 夕方になっても穂高方面の雲は去らず、夕焼けは見ることができなかったが、そのかわり美しい下界の町明かりが印象的だった。

第6章 ムーン・ライト 〜 展望指示盤周辺にて

 夕食後、撮影機材・防寒具などを用意して、床につく。
 山小屋で目覚まし時計を使えないのには、困ったものだ。下弦の月を利用して撮影すべく0時起床予定だったが、これを大きく回り2時過ぎになってやっと目が覚めた。窓から月光が部屋に差し込んでいた。しかし、稜線上に雲がかかっているらしく、時々表が暗くなる。とりあえず、準備だけ済ませる。
 しばらくして、外に出てみる。しかし、風が強くて防寒具がわりの雨具もあまり役に立たない。そのうえ度々湧いてくるガスにより、時折、視界が5mくらいとなる。こうなると方向が全くわからなくなるので、ヒュッテの建物はすぐそこにあるのにもかかわらず、動けないままじっとしているしかなかった。
 2時半頃になり、ガスが湧かなくなったが、大キレットの間から、まるで堤をきった水のごとく、雲がこちらへ絶え間なく流れてきた。
 まだベスト・コンディションとはいえないので、穂高岳山荘に宿泊しているHa氏に光通信を試みることにした。が応答なし。
 3時頃になると、穂高・槍方面のガスが少なくなってきたので、本格的に撮り始めることにする。薄明が始まっているので、レンズを明るくして数多く撮ることを心掛ける。長くて20分(F4)、短いので5分(F2)。4時になるといよいよ明るくなった。
 日の出は、遠くたなびく雲間から見ることができた。しかし、寒かった。ヒッュッテにもどり、朝食後再び床につく。8時頃に起床したが、先程まで山にかかっていたガスはなくなり、今度は更に上空を雲がおおっていた。

第7章 メモリアル

 蝶ガ岳ヒュッテを9時に出て、来た道を戻る。いつも感じるのだが、日本の山は人工林の杉よりも、ブナの方が実によく似合うと思う。
 帰りも「下」を走ることにしたが、又々ショート・カットしようとして塩尻市の西隣の朝日村で又々道に迷ったのだった。
 今回も印象的だった人達に出会った。
 60才は確実に超えているおじいさんA。この人はヒュッテに昼頃ついて、自宅に電話して「今、着いた。これから帰る。」といってほんとに帰っていった。
 60才は確実に超えているおじいさんB。この人も下山途中(といっても稜線近く)で、お花畑をビデオにおさめていた。Aの人といい地元の人は健脚である。
 おばさん3人組み。水場からの急登区間ですれちがったのだが、息をきらしながらも、おしゃべりは決してやめなかった。脱帽。
 しかし、極めつけは、なんといっても、今やロイヤル・ウエディングで話題騒然の浩宮さまが前日に常念岳から蝶ガ岳を縦走され、三俣へ下山されたという記事を山渓で目にしたときだった。
 入山したときの駐車場の静けさ、綺麗で静かな山小屋、今からおもえばなる程とうなずけるものがあった。

(注) 三俣駐車場への道は、いまはよく整備され、迷うことはありません。
    また、蝶ヶ岳ヒュッテの昼食も充実したメニューとなっています。


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